確かに、その延長線上の機能はある。「Genius」と呼ばれるものだ。しかし筆者は全く使っていない。通常のシャッフル機能を超える利点がないからだ。Geniusは、ロックやクラシックなど音楽ジャンルごとのプレイリストを自動的に作成する。ところが個人的にはジャンルごとのプレイリストを聴きたいと思う場合はほとんどない。

 それよりも欲しいのは音楽を流すシーンに合わせたプレイリストの自動作成だ。例えばドライブや就寝前など、場面に応じて聴きたい曲は変わる。そこに絶妙のプレイリストを用意してくれれば、ますます製品が好きになる上、知られざる名曲が紛れ込んでいたりしようものなら即座に買ってしまいそうだ。発想自体はありふれているし、既にそういうアプリがあってもおかしくない。ただし、ありきたりの機能を磨き上げて驚きの体験に仕立てるのがApple社の強みではなかったか。

 ほかにも可能性を秘めた機能はいくつもある。例えば文字入力では、使い込むほど変換精度が上がっていく入力システムを喜ばないユーザーはいないはずだ。ところがiOS6の文字入力機能は、学習効果が長続きしない以前の弱点はそのままに、改善点は絵文字が増えた程度に見える。

 もちろん独自の地図アプリなどiOS6の目玉機能は、ユーザーに快適さやワクワク感をもたらす狙いで開発したのだろう。しかし、不評を買った地図アプリでは、楽しさを味わう前に地図の不備や間違いに目が行く。これまでもApple社が完成度の低い製品を出したことはあった。最初のiPhoneにコピーやペーストの機能はなく、搭載されるまで2年もかかった。ただしそれは生煮えの機能をいち早く出すよりも、完成度を高めることを選んだ結果だったはずだ。今回の地図アプリは作り込みが十分とはとても言えない。Jobs氏が健在だったらこれを許しただろうかと、不届きな感想が思わず浮かぶ。

 細々した不行き届きから透けて見えるのはApple社の姿勢の変化だ。「ユーザーにもたらす体験はこの程度で十分だ」と低い水準で妥協してはいないか。だとしたら同社の将来は危うい。製品の使用体験のあくなき改善が、同社製品を選べば間違いないと言う強い信頼感や愛着をユーザーにかき立てる。この構図が、他社を差し置いてApple社が急成長した根底にあるからだ。

 最初にiPhoneが登場した時、 iPodの機能を目当てに購入したユーザーは少なくなかっただろう。筆者もその1人だった。iOS6の音楽プレーヤー機能に当時の愛着を感じない理由は、iPodという呼び名がなくなってしまったからだけではない。今ではiPadの音楽プレーヤーを立ち上げることは滅多になくなってしまった。そうするだけの魅力を感じないからだ。iPhoneの音楽プレーヤーまで使わなくなる時が来るとしたら、その頃にはApple社は他社と変わらない普通の企業になっているはずだ。