1991年7月19日。この日,富士通は,本社のある東京・大手町で記者会見を開いた。会見場には新聞やテレビなど,多くの国内報道陣が詰めかけ,ただならぬ雰囲気が漂っていた。

 会見に臨んだのは,富士通取締役で電子デバイス事業本部長を務めていた増永彦太郎氏,同事業本部技術調査部長の篠田政一氏などである。当時富士通の半導体事業を率いていたそうそうたる面々がひな壇に顔をそろえた。出席者のなかでも異彩を放っていたのは,山地克郎氏の肩書だった。「渉外本部長代理」である山地氏の存在は,新製品や新技術を華々しく披露するいつもの発表会とは趣を異にすることを意味していた。

 「富士通は,米Texas Instruments,Inc.(TI社)との裁判を本日午前に東京地方裁判所で提起しました。TI社が主張する『キルビー275特許』を,当社が侵害していないことを確認するためです」。

 富士通の出席者が記者団に対してこう説明すると,ざわめく記者たちから矢のような質問が繰り出された。

 「提訴の理由は何か」,「日米貿易摩擦への影響をどう考えるのか」…。細心の注意を払いながら富士通の出席者たちは,一つ一つの質問に答えていった。