50代,男性撮像素子

【事例6】
会社が次々に買収されていく

 「もういい,本当にもういいと思った」─町田晶弘氏は,首を振りながらそう言った。同氏は,勤めている会社が買収などによって何度も変わっていったという異色の経歴を持つ。社歴はこうだ。

 大学卒業後,横河・ヒューレット・パッカード(YHP)に入社(1989~1990年は米国勤務)→YHPが日本HPに変わる→米Hewlett-PackardCo.(HP社)から分社化した米Agilent Technologies, Inc.に出向,後に現地採用に→Agilent社の半導体部品部門が米Avago Technologies, Inc.として独立→Avago社のイメージ・センサ事業を米Micron Technology, Inc.が買収→Micron社がイメージ・センサ部門である米Aptina Imaging Corp.を売却。

 2009年6月にAptina社の所属になったときには,「もう,いいかげんにしてくれ」という気持ちだったそうだ。そこでAptina社を辞めて,大型ディスプレイなどを手掛ける米Spudnik,Inc.に転職した。

 町田氏の長所は,そうした状況でも働きぶりが揺らがなかったことだ。彼は,HP社時代にインクジェット・プリンターのヘッドの位置を決めるセンサを開発した。それはHP社だけではなく,キヤノンやセイコーエプソンのプリンターにも採用された。製品企画からマーケティングの立ち上げまで担当して,大成功を収めた。それ以降は,マーケティングや販売の部長などを歴任した。そのときに強く感じたのは,日本市場向けに売るだけではダメだということ。日本の顧客に認められなかったものでも世界に持って行けば“バカ売れ”することがある。グローバルな視点が大切なのだ。

 もう一つ重要なのは,町田氏は技術者としての工夫と改良の心を失っていなかったことだ。CMOSセンサを担当していたとき,チップ・オン・ボードでモジュールを作ることを思い付いた。そこで,プレゼン・ソフトでプリント基板の絵とチップの配置を描いた。その後,レンズ・メーカーからレンズを調達して,自分で粘土を使ってユニットを作った。これがベースになって開発されたカメラ・モジュールは,英Sony Ericsson Mobile Communications ABの携帯電話機に採用された。

誰もやらないことに手を出す

町田氏の経験に基づく有用なスキルと効果
町田氏の経験に基づく有用なスキルと効果
これによって,どんな環境でも揺るがない自信を持 てるという。

 マーケティング担当の職務からすれば,そこまでやる必要はなかったかもしれない。しかし,それは「ホワイト・スペース・マネジメントだ」と言う。人と人が仕事をするとき,自分の担当分だけを意識して仕事をしていると,誰も手を着けないホワイト・スペースが生じるという。そこを積極的にやるかどうかが重要なのだ。成功体験はそうした意識から生まれてくるのだろう。

 町田氏は,「技術者は会社にいるだけではダメだ」と言う。顧客やメーカーとの会話からアイデアが浮かぶことは多々ある。同時に,多くの人とのつながりが,仕事だけでなくキャリア・パスにつながる。米国で長く働いた経験から,「コネクションをどれだけ持っているか」が成功のカギを握ると断言する。