阿江通良氏(筑波大学 副学長 人間総合科学研究科 教授)
阿江通良氏(筑波大学 副学長 人間総合科学研究科 教授)

 「我々の研究分野のターニングポイントになったのは、1991年に東京で開催された『世界陸上』。我々が信じてきた走行フォームが、“正統”でないと分かったときのショックは大きかった…」。

 日本バイオメカニクス学会 会長の阿江通良氏(筑波大学 副学長 人間総合科学研究科 教授)は、今からおよそ20年前の出来事をこのように振り返る。「我々の研究分野」とは、同氏の専門分野であるスポーツ・バイオメカニクス。アスリートの動きを解析し、技能向上やけがの防止に生かす学問分野だ。

 阿江氏によれば、アスリートが練習で見せるパフォーマンスと、試合で見せるパフォーマンスは大きく異なることが多いという。試合を計測対象にしなければ、トップアスリートが実戦で発揮する驚異的な能力は捉えられない。ところが1980年半ばごろまでは、陸上競技などの試合中のアスリートの動きを、研究を目的で撮影するための許可を得ることは容易でなかったという。

 その風向きが変わったのは、1980年代にドーピングによる違反が増えたこと。「ドーピングが横行するくらいなら、試合の撮影を許して、科学的な解析を選手のパフォーマンスの向上につなげた方がいい」。国際陸上競技連盟がそう考えるようになったことで、研究目的の撮影が許可されるようになったという。試合中のアスリートの身体の動きをビデオ・カメラで精緻に捉える最初の機会になったのが、1991年の世界陸上競技選手権大会だったというわけである。

カール・ルイス選手が最初の解析対象

 1991年の世界陸上では、大阪体育大学教授の伊藤章氏らが中心となって、米国のカール・ルイス選手など当時の世界のトップアスリートたちと、日本人選手の走行フォームを複数台のビデオ・カメラで撮影した。解析の結果分かったのは、同大会で9秒86の世界新記録(当時)を打ち立てたルイス選手をはじめとする世界のトップアスリートたちと、成績が振るわなかった日本人選手たちでは走行フォームに大きな違いがあるということだった。

 具体的な違いはこうだ。日本人選手たちは、振り上げる方の膝を高く上げ、地面に着いている方の足はピンと伸ばしていた。ところが、ルイス選手をはじめとするトップアスリートたちは、これとはまるで逆のフォームで走っていることが分かったのだ。膝はそれほど高く振り上げず、地面に着いている方の足は曲がっていたのである。これを機に、試合中のアスリートの動きを計測することの重要性が、日本のバイオメカニクス研究者の間で広く認識されるようになった、と阿江氏は振り返る。