【前回より続く】

 米Lucasfilm Ltd.と米Industrial Light & Magic社の作業の全成果を収録した1本のHD D5テープと,ハード・ディスク装置に記憶した音声のファイル。米THX Ltd.のRick Deanが率いるチームは,そこから十数種類にも及ぶ劇場公開用のデジタル・マスタ・ファイルを作り出さなければならなかった。しかも,わずか2週間半の間に。

 Rickのチームは,ベルギーBarcoNet Incが開発したMPEG-2のエンコーディング・システムなど,必要な機材やサーバ類をかき集めた。マスタリングの作業に,エピソード1のときと同じくカリフォルニア州バーバンクにある米International Video Conversions, Inc.の協力を仰ぐ。週7日,24時間体制での作業が続いた。Rickの携帯電話機は,深夜2時か3時まで鳴りっ放しだった。Rickは,100種類もあるかに思える,理解できない言語の字幕版や吹き替え版の制作に取り組んだ。何かの手違いで,観客の気分を害するひどい言葉が紛れ込んでいないことを祈りつつ。結局THX社のチームは,60回以上も同じ映画を見ることになる。Rickは当時のILM社の協力に賞賛を惜しまないが,いいことずくめではなかったようだ。「時には,ものすごくヤバイこともあった」(Rick)と言葉を濁した。

 デジタル上映用のマスタ・ファイルの容量は,約65Gバイトに達した。Rickらは,これを14枚のDVD-Rディスクに焼き付ける。世界中の劇場に映像を届ける上で,最もコスト面で有利で確実な方法がこれだった。マスタ・ファイルを格納したディスクは,国際宅配便の業者が,手渡しで劇場に届けた。「航空便の時間に遅れないために,彼らが棒高跳びで交通渋滞を飛び越したときが,絶対あったはずだ」(Rick)。

 Rickのチームの目標は,観客が真っ白なスクリーンを見る羽目になる事態を,何としても避けることだった。幾つかの例外を除いて,彼らは成功した。上映し損ねた場合の原因は,技術とは無関係だった。Rickによると,例えば配給を担当した米Twentieth Century Fox社で封切り前に上映したときは,劇場を運営する米Technicolor Inc.が,プロジェクタを扱う技師の派遣をうっかり忘れていたという。

250 People Screaming

 「エピソード2」は,2002年5月16日木曜日と翌17日金曜日,世界各国で封切られた。デジタル上映を試みた劇場は,最終的に71カ国の94劇場に達した。オーストリア,ベルギー,ブラジル,カナダ,フィンランド,フランス,ドイツ,ハンガリー,イタリア,日本,メキシコ,ノルウェー,スロバキア,スペイン,タイ,英国,そして米国。Rickらが作製したマスタ・ファイル入りのDVDは,世界各地を駆け巡った。