2007年11月1日,ホンダのメアリズビル工場(米国オハイオ州)が生産開始25周年を迎えた*1

*1 正確には,ホンダの米国現地法人Honda of America Mfg社のメアリズビル四輪車工場。

ホンダ鈴鹿製作所の組み立てライン
ホンダ鈴鹿製作所の組み立てライン
「フィット」や「シビック」などを生産。海外工場の量産立ち上げも支援する。また,生産技術やノウハウを生み出す役割を担う。(写真:早川俊昭)

 メアリズビル工場が産声を上げた1980年代。「日本の輸出は集中豪雨。他国の産業を破壊している」と,欧米から激しい批判にさらされていた。その後,日米自動車摩擦の政治問題化や,産業界に塗炭の苦しみに巻き込んだ円高がやって来た。これらに対応するため,日本の製造業は輸出一辺倒からグローバル生産へと大きく舵を切る。さらに,ASEAN諸国や東欧諸国の発展,中国の躍進,ブラジル・ロシア・インドなど新興国の成長など,今日まで経済環境の激変が続いた。

 こうした中,日本の製造業が一貫して進めたのがグローバル生産の加速だった。これを人と技術で支えたのが日本工場である。

 日本の工場は,時に政治問題に翻弄され,時に超円高に苦しめられながら,大きな期待と無理な要求を背負って不断の挑戦を続けた。海外工場の立ち上げ,そこでの品質改善とコスト削減─。これらは日本の工場が手取り足取り支援したものだ。

 しかし,日本工場は今後も「先生」としての地位にあり続けるのか。グローバル生産で先行したホンダで,執行役員生産本部四輪生産企画室室長とホンダエンジニアリングの社長を務める辻井元氏が語る「グランドマザー」という言葉は,日本工場の今を象徴しているかもしれない。

工場グローバルネットの中核へ

 グランドマザーとは,ホンダの米国工場の人たちがホンダの日本工場を語る際に聞かれる言葉だという。微妙な言い回しだ。もともと日米の工場は,親子関係にあった。日本がマザーで米国がチャイルド。ところが最近は米国拠点の自立が進み,ライトトラックなどの新車開発も担当,その量産立ち上げもこなすようになっている(図1)。

図1●ホンダの北米拠点の進化
当初,日本人は先生という役割だったが,米国工場やカナダ工場など北米拠点の実力が上がり,今では駐在員がサポートする程度になった。北米で開発したクルマの量産立ち上げもほぼ単独でこなす。量産や量産準備に関してはほとんど支援の必要がなくなっている。
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 「『米国工場はもう独立している』。グランドマザーという言葉にはそんなプライドが込められている」と辻井氏は説明する。あるいは,支援してもらうことは何もない,そんな意味も少し込められているのだろう。実際,生産性は大幅に向上,タクトタイムなど多くの指標は日米でほとんど差がない。

 ただ,「新車種の量産初期,直行率を目標まで高める時間は,まだ日本の方が相当短い。こうした日米の差は確実にあるが,もはや単純な親子関係ではなく,切磋琢磨の関係だ。日本工場は,新しい技術や生産ラインを発信できなければ存在意義がなくなってしまう」(同氏)。グランドマザーとして祭り上げられないためには,新たな価値を生み出し続けなければならない。

 ホンダには,米国工場をはじめとする海外工場と日本工場が対等な立場で情報を交換・共有する情報システムが既にある。デジタル・マニファクチャリング・システム「PORK」だ。2006年に稼働したもので,Product(製品:工程ビデオなど),Operation(工程:過去の不具合情報など),Resource(設備:3次元検証結果など),Knowledge(ノウハウ:チェックリストなど)といった4項目から成るデータベースである。

 例えば,拠点間の工程の相違に関しては,PORKにアップされた動画を見ながら議論する。一種のテレビ会議のようだが,現物を見ながら知恵を出し合い,議論することで解決できることも多いという。各製造拠点を結ぶ情報空間の中で,日本工場は親ではなく,中核メンバーではあるが他のメンバーと同等の参加者になる。