【前回より続く】

「匠」の要素を引き出す

 ボディの開発チームに合流した鈴木が,最初のミーティングで伝えられた方針は非常にシンプルだった。「低速域はもちろん,高速域においても真っすぐに走るクルマ」である。

 真っすぐに走らないクルマなど,商品として成立しない。それは当たり前だ。ここで問題になっているのは,直進時における横方向へのわずかな“ズレ”である。このズレの大きさが,乗員の乗り心地や安心感に影響する。例えば,80km/hという速度で走行する場合に,不安を感じさせるクルマと余裕を感じさせるクルマがあるのは,ズレの程度が異なるからだ。もちろん,後者の方がズレが小さい。

 このズレの大きさを左右するのが,ボディ骨格の精度。具体的には,部品単体の形状精度や部品同士を組み付けたときの精度(組み付け精度)などである。ボディに関しては,鈴木が合流した時点でコンセプトは出来上がっていた。問題は,そうした細部の精度をどこまで追い求めるかだった。

 水野は,走行性能の観点から,重要部分に±1.0mm,±0.5mmといった精度を要求していた。この要求を聞いた時,鈴木は自身の耳を疑う。いくら何でも,そのような精度が本当に必要とは思えなかったのだ。

鈴木信男 
日産自動車Infiniti製品開発本部Infiniti製品開発部車体計画・設計グループ主担 (写真:佐藤 久)

 走行性能の観点だけでいえば,精度は高いに越したことはない。しかし,生産台数はそれほど多くないとはいえ,GT-Rは量産車である。生産性を無視した設計は許されない。

 現代において,生産性を確保する上での基本的な考え方は,工場での造りやすさに配慮した設計であり,外乱に強いロバスト設計である。許容範囲を広く構えておくわけだ。

 水野は,そうした考え方の重要性を理解しつつも,工場の潜在能力を最大限に引き出したいと考えていた。GT-Rを突出したクルマにするには,工場の持つ「匠」的な要素をさまざまな形で盛り込む必要があると感じていたのだ。日産自動車の工場やそこで働く人たちには,それだけの能力がある。それを極限まで生かすことが設計者の使命であり,本来在るべきものづくりの姿なのだと。

 当初は疑問を感じていた鈴木だが,すぐに考えを改めることになる。ものをいったのは,やはり現物のクルマ。精度をいろいろ変えて試作車を走らせたところ,形状精度や組み付け精度が乗り心地や安心感に与える影響を肌身で感じたのだ。±1.0mmや±0.5mmの高精度品とそうでないもの差は歴然だった。

本当に必要なんですか?

 鈴木は,この目標を工場に伝えようとするが,案の定伝わらなかった。

 設計者の鈴木でさえ,当初はピンとこなかったのだから,無理もない話である。しかし,それでは目標の実現は望めない。例えば,こんなことがあった。鈴木はある時,部品の寸法を計測するための治具の製作を工場に依頼した。数週間後,当初の納期通りに治具が出来上がる。

「あらかじめ伝えておいた寸法になっていますよね」

「もちろんです。苦労したんですから。早速使ってみてください」