開発品に隠されたヒットの秘密とは…
上の写真に写るのは、シューズメーカーのアキレス(本社東京)が開発した子供用運動靴のサンプルである。左側が当時、売り上げが伸び悩んでいた既存ブランドのもので、右側が、その起死回生を狙って立ち上げた新ブランドのものだ。この新ブランドは「ある機能」を持ち備えていたことから、子供たちの間で絶大な人気を得た。さて、その人気を支える技術が写真に写っているのだが、お分かりだろうか。
答えは「左右非対称ソール(靴底)」。既存ブランドのソールデザインが右足と左足で対称になっているのに対し、新開発のソールでは非対称になっている。両足とも、左側(写真では右側)により多くのスパイクを配置することで、トラックのコーナーを左回りで回るときに滑りにくい構造になっているのだ。ブランド名は「瞬足」。子供たちに提供しているのは「運動会で転ばずに速く走れる」機能だ。2003年に発売し、今では年間600万足を売り上げる「マンモスブランド」に成長した*1。
*1 同社広報によると、対象顧客(3~12歳)の人口は約1137万人。単純計算をすれば対象顧客の2人に1人が年に1足、瞬足を買っていることになる。
なぜ同社は瞬足のようなヒット商品を生み出せたのか。それは同社が顧客自身も認識していなかった「潜在ニーズ」を引き出し、それを満たす商品を提供できたからだ。
いまや世界は多種多様な物であふれている。欲しい物は、インターネットで簡単に入手できるようにもなった。誰にでも簡単に見つけられるような顧客ニーズであれば、既に他社が提供している可能性が高い。つまり、メーカーが自ら顧客の方へ歩み寄り、顧客すら気付いていない潜在ニーズを探し出さなければ、なかなかヒットなど生み出せない時代に突入しているのである。
今、この潜在ニーズを効率的に見つけ出そうという取り組みが一部のメーカーの研究開発(R&D)部門で始まっている。人の行動や人を取り巻く環境(コンテキスト)を観察し、そこで得た情報を写真や記述に起こして分析する「エスノグラフィ*2」手法を用いて、である。アキレスの開発チームもエスノグラフィを「そうとは知らずに実践していた」(同社シューズ事業部商品企画開発本部副本部長の津端裕氏)という(図1)。
*2 エスノグラフィ 欧米の文化人類学の分野で生まれたフィールドワーク手法。密林や孤島に住む民族の生活や慣習を観察することで、その民族の文化を深く理解することを目的に発展してきた。これをビジネスに応用しようという動きは、欧米企業で起こった。1990年代以降は日本でも徐々に採用する企業が出始め、5~6年前から採用が本格化しつつある。
開発者、現場へ
活用の肝は、いかに効率的に潜在ニーズを引き出すかにある。
多くのメーカーが採用しているプロセスを大まかに言うと、(1)観察、(2)分析、(3)顧客イメージの形成、(4)商品企画の提案、(5)プロトタイプの作製と評価、の5段階。こうした取り組みそのものは、特に目新しいものではない。ここ数年のトレンドとして顕著なのは、実践メーカーの多くが、R&Dを担当する技術者に「(1)観察」の段階から関わらせようとしている点にある。
従来は、観察や分析は人文系の専任スタッフが担当し、技術者はそのスタッフから伝えられた情報を基に技術や製品を具現化することが多かった。しかし、製品サイクルが短命化する今、分業をしていてはロスが多い。技術者自身が「現場」を体験し、そこから着想を得ることが、より効率的に開発プロセスを進める手段になり得るわけだ。
エスノグラフィ的なアプローチを採用するメリットが、図2だ。
開発がスピーディーに
1つは、開発の早い段階からチームメンバー全員で顧客イメージを共有できること。商品開発にはさまざまな部門の技術者らが介在するため、これを共有することでチームの結束力を高められる。
もう1つが、多部門の共同作業で発生しがちな「言葉の壁」を乗り越えやすくなることだ。同じプロジェクトに所属していても、担当する領域が異分野だと、相手が使用している専門用語が理解できなかったり、伝えたつもりのことが正確には伝わっていなかったりする。プロジェクトの目標はあくまで顧客のニーズを満たすこと。常に「顧客目線」で物事を考えることで、コミュニケーション・ロスが減る可能性が高い。
そして、これら2つのメリットを享受した結果、開発プロセスのスピードアップが図れる。全員のベクトルが最初から顧客に向かっているため、途中で脇道にそれる危険性が低くなるからだ。この点については、瞬足の設計を担当したアキレス商品企画開発部の大滝慎一氏が「1つのデザイン案を設計するのにかかる時間を通常の2/3程度に削減できた」と明言している。
次項から、実践企業の具体的な事例を取り上げていく。