【前回より続く】

 2005年12月14日。満を持して店頭に並んだW-ZERO3の初代モデル「WS003SH」は,待ちわびたユーザーの熱狂に包まれた。ウィルコムの通販サイトは,予約受け付けを開始した12月9日にアクセス過多でパンクした。初回出荷分の大半は予約で完売していたにもかかわらず,発売日当日には朝から大手販売店に長蛇の列ができた。新聞やインターネットのニュース・サイトは,こうした出来事に飛び付いて報道合戦を繰り広げる。それがさらにユーザーの関心をかき立て,いつしかW-ZERO3は願ってもない好循環の渦中にいた。

9月の発売では遅すぎる

「9月ではちょっと遅すぎます。ウィルコムとしては7月に出したい」

「7月ですって? 今からだと残り6カ月しかない。無理ですよ,無理」

「そこを何とか。シャープさんならできるでしょ。今のモデルだって8カ月で一からできたんだから」

「いやあれは例外中の例外で…」

 形勢不利な状況に,シャープ 通信融合端末事業部 第1技術部 副参事の松村浩至は頭を抱えた。松村はWS003SHで,電子回路の開発の中心にいた技術者である。

 2006年1月某日。通信融合端末事業部の本拠があるシャープの奈良工場で,松村らシャープの開発陣と,ウィルコムの須永が顔をそろえていた。話題はずばり,WS003SHの派生モデルの開発スケジュールである。

 どんなに頑張っても9月発売が限度と主張するシャープの開発陣に対し,須永は7月発売を譲らない。「ウィルコムとしてはなんとか夏のボーナス商戦に間に合わせたかった。了解をもらうまで帰らないつもりだった」と須永は述懐する。

 根負けしたのは松村らシャープ側だった。「2カ月の期間短縮はかなり厳しかったが押し切られた。機能面でWS003SHを引き継ぐのが前提で,しかも運が良ければ間に合うかもと言って引き受けた」と松村は言う。この瞬間,WS003SHのときと同様に,一切後戻りできない厳しい開発が,またしても始まった。

 須永が粘るのは無理もなかった。W-ZERO3は想定外の大ヒットを記録していた。発売から1カ月のこの時点で早くも出荷台数は5万台を超えていた。熱気が冷めないうちに派生品を追加して製品ラインアップを充実させる。ここで畳みかけることこそ,W-ZERO3のブランドを確立する絶対条件だと須永は信じた。

やっぱり片手で扱えないと

 後にWS007SHとして完成する製品の開発が正式に始まったのは2006年の年明け早々だった。開発に当たって須永は「WS003SHの良さは残しつつ,より携帯電話っぽい製品に」というリクエストをシャープ側に出した。

WS003SH(左)とWS007SH(右)のサイズ比較。高さが5mm増えているが,幅で14mm,厚さで5mm,重さで45g減らしている
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 「ケータイっぽさ」のポイントは「片手で扱える」ことである。須永自身,毎日の通勤で使う満員電車の車内で,WS003SHを片手で操作する困難さを実感していた。おまけに須永は,WS003SHに興味を示して店頭を訪れたユーザーが「大きすぎる」「携帯電話機っぽくない」ことを理由に購入をあきらめる姿を何度も目撃していた。

 こうした人たちにアピールして,ユーザー層の幅を広げたい。須永には仮説があった。片手ですんなり持てる横幅でテンキーを備えるモデルの追加が必要だ。価格はフル機能のWS003SHに対して是が非でも下げなければならない。「ウィルコムの販売価格でWS003SHより1万円安い」(須永)ラインを目標とした。