どこにもない技術だから当然、手本はない。未知の領域なので正解があるかさえ、分からない。成果がなかなか得られないと、「成功の見込みがない」とか「コストを考えろ」とかいった外野の声が耳に入ってくる。あなたがリーダーだったとしたら、失敗に終ったときの部下に対する責任も強く感じるだろう。そんな中で研究開発を続けていくには、自らの志を推進力にするしかない。自らを叱咤するしかない厳しい世界だ。

 にもかかわらず、「イノベーションに挑みたい」─技術者の本能がそうささやく。イノベーションとは技術革新による新しい価値の創造であり、人々の暮らしや社会を良くする原動力となるからだ。技術者なら必ず、自らの手で成し遂げたいと思うはずである。その意味でイノベーションに取り組むことは楽しい。

 1987年12月10日、事故が起きてエアバッグが日本で初めて作動し、乗員を保護したと販売店から連絡を受けた。すぐに時間をつくって会いに行った相手は、群馬県の地元企業の社長さんで、「エアバッグで命拾いした。ありがとう。ありがとう」と何度も感謝の言葉を受けた。握手した時の感覚は、今も手に残っている。その後も、多くのお客様から長期間にわたってエアバッグに対する感謝の手紙をいただいた。技術者冥利に尽きるとはこのことだ。

 技術者としてのキャリアの大半をエアバッグの開発・量産化・市販に充て、その後はホンダの経営と身近に接してきた。その間にイノベーションについて真剣に考え続けた。理想化する気は毛頭ないが、ホンダにはイノベーションを成功に導く企業文化や仕掛けがあると考えている。