先行するソニーに負けまいと,電子スチルカメラの開発に本腰を入れ始めたキヤノン。

タイトル
真栄田雅也 現在はイメージコミュニケーション事業本部DC事業部副事業部長DCP開発センター所長。
写真:栗原克己

 開発陣は2000件の特許出願を目標に基礎技術を固めるなか,突然,実用化時期の半年前倒しを命じられる。1984年夏のロサンゼルス・オリンピックで,読売新聞社と一緒にカラー画像の電送実験をしようというのだ。無謀な日程にもかかわらず,開発陣は死に物狂いで間に合わす。

 そして,オリンピック。キヤノンの電子スチルカメラで撮影された選手の写真が日本に送られてくる。

 大きなトラブルもなく,ついに最終日。あと残すは,日本中が注目する男子マラソンだ。

 キヤノンの真栄田雅也は,米国に来てから日に日に電子スチル・カメラ・システムに信頼を寄せるようになっていた。当初心配された磁気記録部のヘッドの目詰まりなど,トラブルらしいトラブルは一切なく,オリンピック最終日を迎えられたからだ。男子マラソンが終れば,大手を振って日本に帰れる。真栄田の42.195kmは余裕のスタートだった。

 スタジアムから一般道路に出た直後の選手をとらえた画像が真栄田らスタッフの元に届く。しかし,真栄田の余裕もここまでだった。画像を東京に送ろうとするがうまくいかないのだ。順調にいっていた昨日までがまるで嘘のように。真栄田は至急機材を点検する。しかし異常は見当たらない。再び電送。ダメ。再度電送を試みるが,またダメ。何度も何度も失敗を繰り返すうちに,真栄田はようやくトラブルの原因に気付く。

 「電送システムに利用していた電波は場所を選ばずにどこからでもデータを飛ばせる利点がある半面,周囲の環境の影響を受けやすいんです。実は,選手と共に移動するマラソン競技では,そのトラブルを最も恐れていました」

 そのトラブルとは電波障害である。機材を点検しても,問題が見つからないのは,それが原因としか思えない。ようやくそのことに気付いた真栄田は,スタッフの視線が注がれる中,彼の鞄の奥底から面ファスナーの付いた機器を取り出した。音響カプラだ。これで電子スチルカメラの電送機と電話の受話器を直接接続し,データを送ろうというのだ。電波を利用した送信システムの致命的な弱点を認識していた真栄田らは,万が一に備えて出発前から準備していたのである。

 あとは電話だ。携帯電話の普及していないこの時代,電話といえば公衆電話を利用するしかない。真栄田は辺りを見回すが,それらしきものはない。ここを移動しよう。直ちに機材を載せた車を動かす指示を出した。
「その後,公衆電話はすぐに見つかり,読売新聞社に電話をかけ,受話器に音響カプラを接続して画像を送りました。実は,このときの宗猛選手の写真電送が,生まれて初めて経験した,海外からのコレクトコールだったんです」

 再び余裕を取り戻した真栄田。カメラマンから次々と届けられる選手の写真を手際よく東京に電送する。秘密兵器の音響カプラと,すっかり習熟したコレクトコールを利用して。