突然の前倒し。しかも半年も。動揺する開発陣の間にざわめきが広がる。それを制するかのように言葉は続く。

 「無理を承知の上でお願いしている。読売との件も,既に決まったことなんだ」

 「お言葉ですが,半年はいくらなんでも無理かと。テレビに画像が映るようになったとはいえ,回路基板はまだ野球のベースくらい大きいですし,操作系だってレンズ系だってまだまだ。そんな状況で半年も前倒しするなんて絶対に不可能です」

  「実は,同じロサンゼルス・オリンピックで全く同じ実験をソニーと朝日新聞が組んで実施するんだ」

 「えっ,ソニーが…」

 「我々が,ただ指をくわえて見ているわけにはいかないだろう」

 製品化の半年前倒しという無謀ともいえる命令を開発陣は受け入れる。思い起こせば,電子スチルカメラの開発を本格化させたきっかけは,ソニーのマビカだった。カメラという自分たちの庭に踏み込まれただけではなく新型カメラの開発で先行され,カメラメーカーとしての誇りを深く傷付けられた。同じ轍は踏みたくない。開発陣は再び奮い立つ。今まで以上に過酷な日々を覚悟の上で。

ヘッドの掃除屋として

 予想していたこととはいえ,半年前倒しというスケジュールはあまりにも過酷な要求だった。開発陣は残業の連続。昼も夜もなく開発に没頭し続ける。そこまでしても時間が足りない。気休めにテレビをつければ,オリンピックの選考会で代表が決まったというニュースが流れてくる。そのことは逆に,彼らを追い詰める。オリンピック開催が間近に迫っていることを告げているからだ。

 開発陣の1人,真栄田は電子スチルカメラの記録メディアとなる2インチ型フロッピーディスクの駆動ユニットを設計している。一瞬の画像を安定して記録するためには,磁気ヘッドとディスクを0.1μmの精度で安定的に接触させなければならない。しかし,そのシビアな精度がなかなか出ない。

  「オリンピックの絵は二度と撮れない。失敗が絶対に許されないわけですよ。焦りましたね。特に,私が担当していたところは,記録システムの心臓部でしたから」

 その真栄田が目標の0.1μmという精度を達成したときには,季節は梅雨も明け本格的な夏を迎えようとしていた。そのころには,当初野球のベースほどの大きさもあった回路基板もカメラにすっかり収まる程度に小型化されていた。カメラ,再生機,電送機,プリンタ,メモリーなどから成る電子スチルカメラ・システムの試作機はついに完成したのである。

 しかし,真栄田の表情はいま一つさえない。
「確かに0.1μmという精度は達成しましたが,半年前倒しというスケジュールの中では,そこまでが精一杯。防じん構造など周辺技術までは手が回りませんでした。それで心配になったんです。ヘッドにゴミが付いてディスクの信号を正確に読み書きできなくなったら,使い物にならなくなってしまうのではないかと」

 真栄田は不安を抱えたまま,1984年夏,ロサンゼルスに向けて飛び立つ。万一現場で不具合が起きたら,自分が直そう。真栄田はオリンピックという晴れの舞台に「ヘッドの掃除屋」として参加する覚悟を決めたのである。