真栄田が口にする「課題」とは,業務用ならではの付加価値を見いだすこと。これを使いこなすプロたちには,恐らく写真を撮るだけでは満足してもらえない。議論の末,撮った写真を「見る」「編集する」「プリントする」「送る」機能が不可欠と考えたのである。今でこそ,これらの機能はパソコンを使えば当たり前のように実現できるが,最初はとにかくひどかったようだ。
「映った」
撮影から記録までの電気実装系の開発を担当していた新堀が興奮気味に声を張り上げた。その声に誘われて彼の周りを取り囲んだ同僚たちの視線が,新堀の目の前にあるテレビ画面に一斉に注がれる。
「新堀,何これ?」
「ここから撮った実験室ですよ。ほら,この四角い塊が,今皆さんが見ているテレビです。分かりませんかねぇ」
「いや全然。暗いし,ピントも合ってないんだもん。この人らしき影だって,誰なのかさっぱり分かんない」
「そうですかねぇ,僕にははっきり分かるんですが…。まあ最初はこんなもんでしょう。でも,写真が撮れて,それが記録できて,こうしてテレビにまで映し出せたんですから,一歩前進ですよ。製品化までにはもっとよくなります,まだ1年以上もあるんですから」
テレビに映し出された画像は決して褒められるような出来ではなかった。しかし新堀は,この小さな一歩に確かな手応えをつかんでいた。
だから,お願いしに来たんだ
まだ1年以上もあるんですから。新堀がこう言ったのは,彼らが1984年12月末の実用化を目指していたからだ。その間に撮像信号処理技術や電磁変換技術といった基礎技術の開発に力を入れ,2年間で2000件の特許を出願するという高い目標を掲げている。他社の追随を許さないように,強固な技術武装をしようというのだ。そのため開発陣は,実験と特許作成に忙殺される日々を送っていた。
そんなある日のこと,開発陣全員が呼び出された。
「今日は,君たちに報告しなければならないことがある。今度のロサンゼルス・オリンピックで,我が社は読売新聞社と一緒にカラー画像の電送実験を実施することになった」
「それって,1984年7月のこと?」
「そうだ。そこで君たちが今開発している電子スチルカメラ・システムを使うんだ。カメラマンが選手たちの写真を撮り,日本の読売本社に電送する。そして,その写真が新聞に掲載されるというわけだ。我が社としても,技術力を世間にアピールする絶好のチャンスといえる」
「確かにいいお話なのですが,スケジュール的に間に合いません。実用化は1984年12月末の予定ですから」
「だから,今日は君たちにお願いしに来たんだ。実用化を半年前倒ししてもらえないだろうか」