学会での成功の次は製品化である。ADAM7は「HM6147」と名付けて市場に投入することが決まった。製品版の開発期間は1978年の第1四半期から第4四半期まで。1978年末には量産が始まった。
歩留まりは0~3%
ところが,歩留まりは0~3%という体たらくである。問題の根は,ADAM7と同様にネガ・プロセスで3μmルールを実現しようとしたことにあった。学会発表用のチップの試作と,製品の量産では難しさのケタが違う。業界の一般常識からすれば,3μmルールは高解像度のポジ・レジストを使うべきである。ただ,ポジ・レジストは機械的強度が弱いため,マスクがレジストに接触する従来の接触露光技術が使えず,非接触の近接露光技術を導入する必要があった。予算や時間の制約から,その手は使えない。
武蔵工場で試作を担当した常松政養は,ポジ・レジストで従来の接触露光を試してみた。案の定,マスクが接触した途端にポジ・レジストはボロボロになった。仕方なく,従来のネガ・レジストを使った接触露光を改良することにした。現像時に膨張しにくいレジストの開発を材料メーカーに依頼し,現像液の中に膨張を抑制する薬液を入れる。これで何とか3μmを形成できるようになった。
それでも歩留まりは散々だった。原因の一つは多結晶Si上に形成するSiN保護膜が帯電し,多結晶Siの抵抗値を狂わせること。紫外線を照射して帯電をなくす方法を内堀清文が考案したものの,試してみると効果がまちまちである。試作から量産への技術移管を担当していた池田修二は,紫外線が弱いのではないかと考え,紫外線の照射装置をのぞき込んで工夫を凝らした。翌朝,池田は鏡に映った自分の顔を見て仰天した。目が真っ赤に充血している。工場に出ると,昨日一緒に作業していた技術者も同じだった。どうやら紫外線を浴びすぎたらしい。