【前回より続く】

 1976年。安井は製品化を決意する。安井の腹案は,大胆を通り越して無謀ともいえた。nMOS製SRAMとCMOS製SRAMの両方を同時に開発しようというのである。猫の手も借りたいほど,人手が足りないにもかかわらず。

2品種同時開発に挑戦

 安井は新技術の将来性に賭けていた。高抵抗セルはCMOSセル,nMOSセルのいずれと比べても高集積である。nMOS製のSRAMに適用すれば,これまでにない低コスト化が可能だ。CMOS製SRAMへの適用も魅力的だった。当時,4KビットSRAMの標準パッケージといえば18ピンの300ミル幅と決まっていた。チップ面積の大きい従来のCMOS製SRAMでは到底入らない大きさである。高抵抗セルなら,CMOS製SRAMでありながら300ミル幅を達成できる。安井の胸は躍った。常識外れの製品を誰よりも早く開発し,世界をあっと言わせてやる。

 安井を後押ししたのは,当時,CMOS製SRAMの開発を手掛けていた部下の西村光太郎の見立てだった。それまで高抵抗セルは,nMOSプロセスで検証してきた。CMOSプロセスでうまく作り込めるかどうか,安井には分からなかった。安井は西村を飲みに誘った。深夜の居酒屋で杯を交わしつつ,高抵抗セルをCMOSプロセスに展開できないかと切り出した。

高抵抗負荷メモリ・セルの開発を担当した安井氏,西村氏,内堀氏
左から,ルネサス ソリューションズ 嘱託技術顧問の安井徳政氏,日立超LSIシステムズ 嘱託技師長の西村光太郎氏, ルネサス北日本セミコンダクタ 取締役 設計開発本部長の内堀清文氏。写真はいずれも2007年現在のもの。

 西村はCMOS製SRAMの設計に着手してからまだ日が浅かった。それでも一通りのCMOSプロセスは頭に入っており,高抵抗セルの製造工程とCMOSプロセスの整合性は良いという感触を持っていた。ただし,高抵抗セルの場合,CMOSセルほど消費電力を低減できない懸念もある。

 西村の意見を聞いて,安井は腹を固めた。

 1976年7月20日,安井は上長の牧本次生に提案した。高抵抗セルを使ったnMOS製の4KビットSRAM「HM472114」とCMOS製の4KビットSRAM「HM4315」を並行して開発する。誰が見ても常識外れの計画だった。ところが牧本は,安井の提案をあっさり了承した。安井が見た夢の大きさは,牧本の心を動かすのに十分だった。