結局、利用者が携帯電話機を変更した際のデータ移行が便利、携帯電話事業者がSIM上のアプリケーションを把握することで利用者が携帯電話機を紛失した場合に機能を停止することなどが可能、といった携帯電話事業者の主張に、モバイル・ペイメントを推進する企業から多くの賛同が集まった。結果として、NFC搭載の携帯電話機においてSEをSIMに実装するという方式が、事実上の標準となった。

 クレジットカードの国際決済ブランドと携帯電話事業者の対立はさらに激しかった。VisaやMasterCardは、ペイメント・カードの仕様や規約を規定し、管理する立場にあるが、これが崩れる可能性があったためだ。

 例えばVisaのpayWaveの携帯電話機への実装を考えてみる。本来は金融機関が所有(利用者へは貸与)する非接触ICカードのチップ上に、VisaがpayWave決済用のアプリとデータを発券(アプリの書き込みおよびデータのパーソナライズ)するのだが、携帯電話機に非接触ICカード相当の機能を載せる場合、携帯電話事業者が管理するSIMカード上のセキュリティー領域をVisaが借りて、そこに発券することになる。その領域はSIMの所有者である携帯電話事業者が管理する。当然、この仕様はVisaではなく、携帯電話事業者が作ることになる。さらに、SIMカード上に書き込まれたPayWaveのアプリを携帯電話事業者が勝手に削除する可能性がある。現実に携帯電話事業者がそうするかどうかはともかく、技術的には可能である。つまり、Visaは携帯電話事業者の顔色を伺いながら、事業を進めなくてはならなくなるのだ。当然、これには反対する。

 一方、携帯電話事業者はSIMの所有権を盾に交渉を有利に運ぼうとする。欧州における標準化は結局のところ純粋な技術論ではなく利権が絡む政治そのものである。最終的には携帯電話事業者が確保した領域上の決済アプリについては干渉しないなどの一定の合意に至り解決した。しかしこのような紛争は一例にすぎず、NFC搭載携帯電話機でのモバイル・ペイメント実現にあたって整理されるべき論点は多かった。参考までにその一部の例を示す。

(1)プラスチックカードではVisaとMasterCardの両ブランドのペイメント・アプリが同居することはありえないが、SIMではそれもサポートしなければならない。これにはVisa、MastarCardのICカード仕様を両ブランドが協調して修正しなければならなかった。

(2)payWave(Visa)、PayPass(MasterCard)は当初、少額決済に限定していたが、携帯電話機に実装するにあたり、携帯電話事業者がPIN認証などを付加して高額にも対応するよう求めた。結果的にVisa、MasterCardはpayWave、PayPassをモバイル向けに限らず全て高額決済に対応するよう仕様を修正した。

(3)それまでVisa、MasterCardは、決済用の端末、ペイメント・カードのICチップといった決済アプリを実装する機器には例外なく認定試験を義務付けており、携帯電話機やスマートフォンも例外には当らないとした。しかし携帯電話機は機種が多く、全ての機種について一つ一つ機器認定を行うことは現実的ではない、とする携帯電話事業者の主張を例外的に受け入れざるを得なくなった。

崩れ始めたVisa、MasterCardの権威

 ここまで述べたように携帯電話事業者は、自ら主導権をもつ携帯電話機のプラットフォームとSIMを武器に、決済を握るVisa、MasterCardに対し有利な交渉を続けたのだが、その自信の裏にあったのは、世界で46億と言われる携帯電話サービスの加入者数である。国際決済ブランド最大手のVisaでも、そのカード枚数は18億枚(Visa World Wideの2010年度 annual reportより)、その他の国際決済ブランドを合算してもおよそ30億枚程度(Nelsenレポートなどから、筆者独自調査)である。これらの数字は最近のものだが、NFCの検討が進む2002~2005年当時で、既に世界の携帯電話サービス加入者数は決済カード枚数を上回る状況にあった。