「大電流で高効率のチャージ・ポンプICは不可能といわれているけど,三洋さんならできるでしょ」
相手方の担当者は,お世辞半分にこう提案してきた。三洋電機の出席者は皆,無言でうつむいたままである。
その沈黙を破ったのが名野だった。
「難しい課題ですが,決してできないことではないと思います。ウチの部隊なら,ご提案に沿った製品を開発できると思います」
三洋電機の一同は凍りついた。一体何を言い出すんだこの人は。
「そうですか。それはよかった。ぜひ頑張っていただきたい。良い成果をお待ちしています」
どういうつもりだ
AV機器メーカーの担当者は満足げだった。三洋側はそれどころではなかった。会談後,同席したスタッフは皆,名野に詰め寄った。
「名野さん。あんなの常識外れですよ。どういうつもりですか」
「なんてことを言ってくれちゃったのよ。本当に」
実は名野は,担当者の話をよく理解していなかった。電源ICについては全くの門外漢だったのである。電源の効率や,リップルの概念すら正確には把握していなかった。それでも,「できません」と言うのは後でもいい,きっと誰かがやるだろうと,軽く考えて口走ってしまった。居合わせた同僚にしてみれば,信じられない大失態である。
針のむしろに
「名野さんは世の中の常識を知らないようだ。大電流チャージ・ポンプの高効率化なんてできっこない。チャージ・ポンプをCCDの電源に使うなんて,あり得ない」
「何ていう話をまとめてきたんだ。こんな話は,おいしくもなんともない」
会社に帰ってから名野は針のむしろに立たされた。第1技術部を中心とする緊急ミーティングは,名野を非難する声であふれた。ほとんどのスタッフが,チャージ・ポンプ電源の高効率化に否定的な見解を示した。「そもそもそんな技術ができるなら,他社に出す前に自社で利用するのが先だ」。まさに正論だ。
とはいえ,名野の非をあげつらってばかりもいられない。顧客にできると明言した以上,今後の方策を決めなければならない。あきらめてやっぱりできないと謝りに行くか,無理を承知で開発プロジェクトを組むか。長い議論の末,結論は第1技術部を率いる田端に一任することになった。
議論を腕組みしながら聞いていた田端は,ポツリとこう言った。
「名野さんが一人でやる。名野さんならできる。失敗したら,私が尻ぬぐいをします」
この案件は常識破りで,難易度が恐ろしく高い。田端は,難しい案件ほど名野が燃えることを知っていた。あの難解なBSIM 3を独力で理解した名野なら,何かやってくれるに違いない。
この日から,名野の孤独な戦いが始まった。
山にこもって回路を想う
「やっぱり効率が出ない。せいぜい65%がいいところ。95%なんて全く無理」