前回より続く

三洋電機が試作したチャージ・ポンプ回路(写真:栗原 克己)

 「この電流値を変えると,出力電圧はどう変わる?」

 回路図を指さしながら,若手技術者に熱っぽく語りかける。講義は真剣勝負。あくびも許さない。全身全霊を傾けて,生徒たちと対峙する─。

 1996年10月。三洋電機 半導体事業本部の名野隆夫は,20年近く勤めたCAD部門から,田端輝夫が率いるMOSLSI事業部 第1技術部に異動した。名野はここで,IC設計の業務の傍ら,部内の若手技術者へアナログ技術を教え始めた。「ウチの連中を鍛え直したい。名野さんの力を貸してくれ」という,田端のリクエストに応えたものだ。田端は若手のデバイス技術者があまりにも回路設計を知らなすぎると嘆いていた。名野も全く同感だった。

 名野は業務時間外の午後5時以降に講義を始めた。内容は電磁気学の基礎から,オペアンプ設計の実際などまで。

 最初は5人程度でスタートした。回を重ねるごとに出席者が増えた。忙しい仕事の合間を縫って,名野の熱意に引き寄せられた若手技術者たちが授業に食らいついてきた。

 名野の講義は,何より基本を重視した。回路設計においても,常にキルヒホッフの法則にまで立ち返って考えさせた。生徒たちは,入社前に多少なりとも電磁気学を履修してきたはず。しかし,具体的な回路設計で,電磁気学の基本法則が有効であることを見せると,まるで新たな発見をしたかのように目を輝かせた。

「そうか,キルヒホッフの法則って,こういう意味だったのか」

 名野の教え子は当時を振り返ると,厳しさよりも楽しさを感じるという。専門外のアナログ回路の学問体系は知的好奇心を刺激した。何より名野の講義には,大学の授業や通常の社内研修とは異なる,独特の雰囲気があった。生徒一人一人と目を合わせ,理解したかどうかを確認しながらじっくりと歩を進める。

「今日は,体調が良くないのか」

 名野は,疲れ気味の生徒の体調をいたわったり,声を掛けて緊張を和らげたりすることを欠かさなかった。生徒たちののみ込みは早く,グングン知識を吸収した。中にはアナログ技術に魅せられて,4年後に名野が立ち上げるCMOSアナログ部門に参加することになる者もいた。

BSIMが採用へ

名野 隆夫氏(写真:栗原 克己)

「よし,オペアンプはこれで終了だ。次回からSRAMに進む」

 名野は,久々に充実感を味わっていた。雰囲気のいい職場に異動したことも一因だが,それ以上に若手技術者の教育に,やりがいを感じていた。いずれは大学で教鞭をとろうと考える名野にとって,あたかもその日が前倒しで訪れたかのようだ。

 日常の業務も充実していた。部署ではフラッシュ・メモリやDRAMの開発検討などプロジェクトが目白押しである。もともと田端が名野を引っ張ってきたのは,こうしたメモリの電源設計などを期待してだった。