(写真:栗原 克己)

 昨年春,名野隆夫は三洋半導体を定年退職した。名野はさまざまな顔を持っていた。社内ではちょっとした有名人だった。「アナログ大学院」と呼ばれる研修制度を主催し,100人を超えるアナログ技術者を育成した。売却交渉中の同社に投資ファンドが食指を動かすのは,電源ICやオーディオICなどアナログ系半導体の設計力に定評があるからだ。その実力を陰で支えてきた一人が名野である。

 社外では「BSIMの名野」で通っている。米University of California, Berkeley校が回路シミュレータ用に開発したトランジスタのモデル「BSIM(Berkeley Short-Channel IGFET Model)」について語らせれば,国内で右に出るものがいないほどだ。誰に言われたわけでもなく,独力で文献をあさり,プライベートの時間を割いて勉強した成果である。

 畑違いの仕事で業界をあっと言わせたこともある。多段昇圧時の効率は50%程度が限界とされたチャージ・ポンプ型のDC-DCコンバータ用ICで,3倍から5倍の昇圧時において95%の効率を実現してみせた。開発を始めた当初はズブの素人だったにもかかわらず。

 18歳で三洋電機に入社し,40年以上半導体や回路シミュレーションの分野で生きてきた。半導体工場の実験助手に始まり,トランジスタの不良解析,回路設計やCADなどさまざまな現場を経験した。その間,常に変わらなかったのが,自分が選んだ技術を極めたいという執念と,それを裏打ちする底知れぬ向学心である。問題にぶつかれば原理に立ち返って考え,分からない論文があれば分かるまで読み込んだ。「休日に1時間勉強した人とそうでない人の間に,10年でどれほどの差がつくか分かりますか」。そう語る彼の目は笑っていない。

 人付き合いは下手だった。直裁な物言いは時として摩擦を呼び,上司を怒らせた。どちらかといえば,不遇の時代が長く続いた。会社を辞めようと,悩み苦しんだ時期もある。最後の役職は担当部長。サラリーマンとして決して大成したわけではない。

 それでも言いたいことは言い,やりたい仕事を貫いてきた。彼を師と仰ぐ若手は,会社が逆風下にあっても目を輝かせて勉学に励むという。何よりも自分の能力を高めることが問題なのだ。

 名野の来歴には技術者という生き方の本質が,折に触れて顔をのぞかせる。

名野 隆夫氏(写真:栗原 克己)

君の仕事は必要ない

「もう続かない。もう駄目だ。僕には向いてない。やっぱり辞めよう…」

 1995年5月。群馬県邑楽郡大泉町にある三洋電機の東京製作所。窓の外の景色を自席でぼんやりと眺めながら,名野は思わず深いため息をついた。

 名野はBSIMに関する講演を終えたばかりだった。あるCADベンダーが主催した技術セミナーの一環で,聴衆は他社の技術者である。反響は予想以上に大きかった。某大手企業からは,講演に使った資料を自社の教育に利用したいとの打診を受けた。名野は快諾した。社内の力は借りず,自分独りで作り上げた資料だ。

†BSIM(Berkeley Short-Channel IGFET Model)=米University of California,Berkeley校が開発した,トランジスタのモデル。回路シミュレータなどで用いる。BSIMの登場までは,特定の回路シミュレータでのみ用いることができるデバイス・モデルが一般的に使われていた。BSIMは異なるメーカーの回路シミュレータで利用できることから,広く普及した。なお,ここで述べているBSIMは,BSIM3のことである。