フルセグ方式への一本化を決定付けたのは,ハードウエアのコストだった。試算してみると,四つのチューナーを用いるワンセグ方式の方が,明らかにコストが高くなる。これを聞いた上司は,ワンセグ方式の採用をついにあきらめたのだった。

HDD容量が足りない

「えっ,録画できないかもしれない?どういうことですか,石塚さん!」

 この話を石塚たち技術陣から初めて聞いた西沢は,あぜんとした。PS3向けの地デジ・チューナーの開発と聞いて参加したのに,はしごを外されたように感じた。

「録画できない録画機なんて…」

 フルセグの映像をある程度の時間録画するには,PS3が搭載するHDDの容量は不足していたのだ。地デジのテレビ番組を圧縮せずに録画すると,必要なデータ量は1時間で約6Gバイトにもなる。例えば,内蔵HDDの容量が100Gバイトに満たない初期のPS3では,すぐに容量がいっぱいになってしまう。これでは消費者には到底受け入れられない。PS3に外付けHDDを接続し,そこに録画する手法も考えたが,このときは技術的に対応できるかどうか不透明だった。

 そこで西沢は,地デジの「録画」ではなく,リアルタイムの「視聴」に重きを置く代替案として,「テレビ・パーティー」という企画を新たに書き起こした。考え付いたのは,PS3のネットワーク機能を使ってユーザー同士をつなぎ,テレビを視聴して互いに楽しむというアイデアだった。

 この企画自体は面白いものだったが,商品としては「決定打に欠けた」(石塚)。そもそも,番組の視聴だけならPS3を接続するテレビで十分ではないか,という見方もあった。

材料集めを開始

 torneの開発チームには,技術面以外にも悩みがあった。開発がSCEの正式なプロジェクトにまだなっていないことだった。既に,2008年4月末のアイデア会議から約半年以上が経過していたのに,である。

 そのため,石塚も西沢もほかの業務をこなしながら,torneの開発に取り組んでいた。正式なプロジェクトとして承認を得ていない状態では,どの部署の予算を使えるのかも分からない。「どういうふうに計画を進めていくのか」で,もめていたのである。torneの開発がなかなか進まない理由の一つは,そこにあった。

 ここでも流れを変えたのは,渋谷だった。経営陣を説得して正式なプロジェクトにするには,事業化する上でその成否を判断できる材料を集めればよいと,渋谷は考えた。

 そこで,工数やコスト,売り上げ予測など,事業化の可否を判断するための材料集めを,渋谷の主導で本格的に開始した。これでようやく,「エンジンがかかり始めた」(石塚)。

西沢に一任

左が石塚健作氏,右が西沢学氏

 torneの開発は再び動きだした。このころから,開発体制も整ってきた。

 渋谷が「プロデューサー」としてプロジェクト全体を取り仕切る。西沢が「ディレクター」としてユーザー・インタフェース(UI)などをデザインしつつ,アイデアを練っていく。そして,石塚のチームが,西沢のアイデアを技術的に実現していく,という具合だ。こうした体制は,ゲームの制作と同じである。