だが,口だけで説明しても相手には伝わらない。ならば,実際に動くものを見せればいい。その題材として選んだのが「番組表」だった。2008年6月に入り,石塚は早速,高速に動く番組表を試作し,フルセグ方式の採用を働き掛けた。

 差異化を図る武器として石塚が考えたのは,高速な番組表だけではなかった。無線LAN機能を使ってPSPでPS3を遠隔操作できる「リモートプレイ」機能への対応がもう一つの武器だった。この機能に対応することで,PS3が設置されていない部屋でも,PSPでテレビ番組の視聴が可能になる。当初は難しいとみられたこの機能も,導入ができそうだと徐々に分かってきていた。

 高速な番組表とリモートプレイという二つの武器を手に入れ,自信を深める石塚。最初のアイデア会議から約4カ月が経ち,季節は春から初秋へと移りつつあった。

「ワンセグなら手を引きます」

「面白そうですね,ぜひやらせてくださいよ!」

 石塚たちが検討を続けるPS3向け地デジ・チューナーの企画を耳にした西沢は飛び付いた。「PS3らしい,ゲームらしい,良いアイデアはないか」。フルセグ方式とワンセグ方式の検討を同時に進めながら,石塚たちはゲーム開発を担うSCEのJAPANスタジオに協力を求めていた。2008年9月に開催された説明会に西沢自身は参加していなかったが,後日,上司を通じて石塚たちの話を聞いた西沢は,その協力に手を挙げたのだった。

 西沢を含めJAPANスタジオのゲーム・デザイナーたちはさまざまなアイデアを出し合い,10数本の企画書を書き起こす。スタジオ側としてもアイデアを練るうち,石塚たちと同じくフルセグ方式を推すようになった。「ワンセグ方式なら我々は手を引きます」と,強い姿勢を見せたのだ。

 それにもかかわらず,PS3向け地デジ・チューナーの企画は,フルセグ方式には一本化されなかった。石塚の上司がワンセグ方式を推していたのである。そのため,この2案はしばらく並行して検討が進められる。

 状況が一変したのは2008年10月。ある男が商品企画部へ異動し,PS3向け地デジ・チューナーの開発メンバーとして参加してからである。

「ワンセグなんてあり得ません。フルセグでいきます!」=敬称略