【前回のあらすじ】限られた開発期間,乗用車で世界初となる8AT,しかも新開発エンジンと同時投入―は,トランスミッションの開発陣にとって未知の領域への挑戦だった。8ATの投入を決断するか否か…。トヨタ自動車とアイシン・エィ・ダブリュ(AW)のプロジェクトチームは,100種類以上の機構案を詳細に検討し,実現の可能性を見いだす。そして2003年9月,乗用車として世界初の8ATの実用化を目指した開発プロジェクトが具体的に動きだした。

トヨタ自動車の8AT 開発メンバー。左から,本多敦(パワートレーン本部第2 ドライブトレーン技術部第1AT
トヨタ自動車の8AT 開発メンバー。左から,本多敦(パワートレーン本部第2 ドライブトレーン技術部第1AT 技術室グループ長),田中雅晴(第2 ドライブトレーン技術部第1AT 技術室グループ長)。
写真:栗原克己

 100を超えるアイデアの中から選ばれた,次期「レクサス LS」向け8速自動変速機(AT)の基本構造。それは,遊星歯車機構の数が6ATと同じ3セットを維持し,ブレーキやクラッチの数に関してはそれより少なくて済むものだった。そのシンプルな構造は,6ATとほぼ同じコンパクトさという果実をもたらした。

 しかし,やるべきことは山積していた。軽量化に,NV(音と振動)性能の向上に,滑らかなシフトチェンジの実現に…。もちろん,これらの要素は基本構造を決定する際に大体は見当を付けていたものだ。ただ,それはあくまでも机上の検討にすぎない。

 まだ開発段階にある技術を当てにしていたり,高度な造り込みを期待していたりと,いわゆる「見込み」の部分が少なからずある。同時並行で開発が進んでいるはずの,肝心の新規エンジンのスペックもまだ確定していない。そんな状況で,山積する問題を一つひとつ解きほぐしていかなければならなかった。

アイシン・エィ・ダブリュの8AT 開発メンバー。左から,青木敏彦(第1技術部アシスタントマネージャー),藤堂
アイシン・エィ・ダブリュの8AT 開発メンバー。左から,青木敏彦(第1技術部アシスタントマネージャー),藤堂 穂(技術管理部主担当),尾崎和久(技術本部副本部長),岩瀬幹雄(第1技術部次長)。
写真:栗原克己

 例えば,軽量化。その目標が明確に定まったのは,開発プロジェクトが具体的にスタートした2003年の秋から,季節が本格的な冬へと移り変わろうとしていたころだった。トヨタ自動車の車両企画担当からアイシン・エィ・ダブリュ(AW)に提示された8ATの重さに対する要求は,6ATと同じ85kgならベスト,それが無理なら90kg台前半というもの。現在の質量は110kgだから,ざっと15~25kgの軽量化を果たさなければならない。

アイシンAWで8ATの開発の陣頭指揮を執る尾崎和久は早速,藤堂穂,青木敏彦ら開発メンバーに軽量化案の洗い出しを指示。数日後には全員がそれを持ち寄った。強度を保ちつつ,できる限りぜい肉をそぎ落とした案,アルミニウム合金部分を増やして重たい鉄の比率を減らした部品など,その数,ざっと100案に上った。