2003年,ケンウッドはポータブルMDプレーヤーの生産をマレーシア工場から山形ケンウッドに移管した。
輸送費まで含めた全体のコストでは山形で生産した方が10%も安くなることが分かったからだ。
しかし量産開始までの半年は平たんな道のりではなかった。
山形ケンウッドは,これまで信じてきたやり方を根本から変えるほどの改革にチャレンジし続けた。
「アジアに勝てる工場へ」を合言葉に,ケンウッドの生産革新が始まる。