2003年,ケンウッドはポータブルMDプレーヤーの生産をマレーシア工場から山形ケンウッドに移管した。
輸送費まで含めた全体のコストでは山形で生産した方が10%も安くなることが分かったからだ。
しかし量産開始までの半年は平たんな道のりではなかった。
山形ケンウッドは,これまで信じてきたやり方を根本から変えるほどの改革にチャレンジし続けた。
「アジアに勝てる工場へ」を合言葉に,ケンウッドの生産革新が始まる。
連載
アジアに勝てる工場へ
目次
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第5回:3日後には生産開始だ
「平親はまだか?」2004年1月6日,午前6時。高橋健一郎は斎藤慎一,富樫孝とともに,山形ケンウッドの玄関前に止めたクルマの中で平親礼行を待ち続けた。
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第4回:今日から休みのはずだった
3日後には倉庫ですか」「輸送時間込みですからね。工場からは次の日に出荷します」
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第3回:ここまで褒められるとは…
「名付けて『エトワール型』です」「名付けて『エトワール型』です」「名付けて『エトワール型』です」
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第2回:僕にMDをやらせてください
「誰だ,こんなもん張ったのは」自分の席に戻ろうとした佐藤一祥の目に飛び込んできた1枚の写真。佐藤は,席の後ろにある掲示板を凝視した。
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第1回:ここは20年前の工場だ
「20年前の工場」2003年2月24日,もう真夜中を越えて25日になっているだろうか。外はきっと氷点下に違いない。