2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北・関東地方の工場にも大きな爪痕を残した。これから少しずつ復旧に取り組む工場もあるだろう。その際、どのようなことに留意すればよいのか。パナソニック電工新潟工場において2度の震災を経験し、復旧の陣頭指揮を執った同社執行役員の木本哲也氏に聞いた。(日経ものづくり)

 この度の「東日本巨大地震」とその後の「大津波」で被災されました皆様方には心からお見舞い申し上げます。

 私は2002年から2008年まで弊社の新潟工場に勤務しており、2004年の中越地震と2007年の中越沖地震と、2度の地震を経験しました。特に中越沖地震では工場長として陣頭指揮を執り、無事に製造ライン復旧を果たすことができました。

 これから工場復旧に立ち向かう皆様のお役に少しでも立てばと思い、その経験をここに記します。

1.安全を確保した上で工場に入る(余震は気を抜いたときにやってくる)

 私の大きな失敗例を紹介します。地震発生から2時間ぐらいが経った頃、当面の処置を施すために工場内に社員を送り込みました。すると、突然余震が襲ってきたのです。社員たちは口々に「もう死ぬかと思った!」などと叫びながら脱出してきました。社員を送り込んだ私自身も、心臓が止まりそうになりました。震災後の工場に入る際は、余震の襲来などを想定し、脱出口の確保などを考えておく必要があります。社員の安全が第一です。

2.情報の共有化を図る

 製造部長4人とスタッフ責任者3人をすぐに召集した上で、工場長である私を本部長とした「震災対策本部」を設置しました。本部で実施したことは、(1)社員と家族の安否や家屋など被災状況の把握、(2)協力会社様の安否と被災状況の確認、(3)マスコミ対応の一元化、(4)本社(大阪府門真市)への状況報告の一元化、です。

 本部では、毎日午前9時と午後5時に状況報告会を実施し、情報の共有化に努めました。この時に、各責任者の様子や顔色も分かりますので、必ず定期的に集まるべきです。

3.指揮命令系統の一本化

 本格的な復旧に取り組むに当たり、前出の震災対策本部を工場復旧本部に切り替えて、社員の一致団結を訴えました。その場合に重視したのは、指揮命令系統を一本化し、意思決定のスピードを上げることです。

 例えば、新潟工場には幾つかの製造部がありますが、各製造部が受けた被害の大きさはバラバラでした。復旧を担うのは、製造部ごとに設けられた製造技術課ですが、製造技術課同士の交流はそれまでほとんどありませんでした。もしそれぞれの製造部が個別に復旧作業を進めると、被害の大きい製造部には大きな負担がかかります。そこで、被害が際立って大きかった製造部には、他の製造部の製造技術者も投入しました。これにより、短期間で工場全体を再始動することができました。

 また、被災地から離れた本社部門へのアドバイスとしては、可能な限り現地の責任者に権限を与え、判断を任せてください。現場では時々刻々、新たな問題が発生しています。

4.責任者は“動じない”ふりをする

 こうした緊急時には、社員は上司の様子をよく見ていて、状況の変化などを敏感に察知するものです。私は、平時でもちょっとイライラすると、「工場長が怖い顔している!」と言われるぐらいですから、意識的に落ち着いて行動するように心がけました。深呼吸をしてから指示を出したり、行動したりするとよいでしょう。

 先の見えにくい復旧作業では、やはり疲れが出てきます。私もだんだん声が出なくなってきました。そういう時こそ元気を振り絞り、声を掛けて廻って下さい。笑顔こそが元気の源だと思います。