重田はこうしたデータを示すとともに,高橋の提示したCADの図面が,既存技術の寄せ集めにすぎないと指摘した。ありきたりの技術で,革新的な商品が生まれるはずはない。

 「僕らはデジタル・カメラの歴史を塗り替える商品を作りたいんです」。高橋の目を真っすぐ見据えて,重田は言った。プロジェクト・チームの思いをじっくりと説明し,その上で技術陣には今までにない新しい技術に挑戦してほしいと懇願した。

少人数のチームで開発

 重田の熱心な説得は,高橋を奮い立たせた。そこまで力の入った商品なら,挑戦してみようという気になった。前例のない小型・軽量化に挑むのは,技術者冥利に尽きる。2003年1月,このデザインを実現するために,高橋は独自に技術開発プロジェクトを立ち上げる。半導体メーカーや部品メーカーと協力し,これまでにない小型・高集積の部品を共同開発する取り組みだった。

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 このプロジェクトが功を奏する。場所を取っていた電源ICは小型のカスタム品に置き換わり,レンズの制御に必要だった多くの部品は集積化された。メイン基板の面積は40%減り,XeフラッシュやLiイオン2次電池,マイクなども小型・薄型化を達成した。Xeフラッシュは,カメラではタブーとされるレンズ下に配置することでデッド・スペースを減らした。発熱が懸念されたMPEG-4チップは,並列処理の利用によって消費電力を抑えた。

 もちろん,すべてが順調に進んだわけではない。電源ICやレンズの制御系,MPEG-4チップなどは新規に開発したものだったため,予想通りに動かないなどのトラブルが多発した。ただ,それでも開発はほとんど遅れなかった。なぜか。高橋は,「少人数のチームで開発できたから」と説明する。

 それまで高橋が手掛けていたOEM向けのデジタル・カメラは,市場規模が大きいこともあり,大人数で開発するのが普通だった。機構設計や回路設計,ソフトウエア開発などは完全に分業化され,互いに意思疎通を図ることも困難なほどだった。そのため,例えばソフトウエアを考慮せずに設計した回路のせいで,後で苦労するといった出来事が頻発していた。

 一方,今回はOEM品の1/10の市場規模しかない三洋ブランド品である。開発チームの人数はおのずと少なくなった。その分,チーム全員が狭いフロアの中に集結できた。これが良かったのだ。もともと,互いに気心の知れた仲間だったことも手伝い,密なコミュニケーションを取れた。疑問点が出ても気兼ねなく聞ける距離が,開発を予想以上に効率化させた。

 こうして生み出されたDMX-C1は,2003年11月に発売された。斬新なデザインが注目を集め,「何じゃこりゃ」と叫ぶテレビCMも話題になった。重田は,このCMの打ち合わせ時に,C1が売れると確信したという。重田がC1について説明している間,CM制作会社の担当者がずっとC1をいじり続けていたからだ。丸みを帯びたC1は,つい触ってみたくなるところがあった。

 重田の期待通り,C1はヒット商品になった。販売価格が7万5000円とデジタル・カメラとしては高かったにもかかわらず,累計出荷台数は17万台に達した。2004年1月の「International CES」では,ビデオ部門の「Best of Innovation」に選ばれている。この成功によってXactiは,グリップ型のデザインと共に市場に定着していく。三洋電機はその後,Xactiのラインアップを拡充していった。薄型モデルや高画質モデルなど,多彩な後継機の中で特に人気の高い機種が,防水モデルである。意外にも,その発案者は新入社員だった。