前編より続く

 1999年5月。発売まであと3カ月。しかし,なぜ逆止弁がうまく機能しないのか,いまだに原因はつかめないままだった。さらに悪いことに,大杉氏の元には駆動部分の担当チームからも耳を疑うような報告が入る。この期に及んで「洗濯槽が回らない」と言い出したのだ。

今度は洗濯槽が回りません

 今回の新製品には名誉挽ばん回かいがかかっている。万全の対策を打って市場に出るため,イオンチェンジャーの改良だけでなく,松下の遠心力や東芝のダイレクト・ドライブに相当する機能も盛り込む作戦を進めていた。「他社が採用している機能は入っていて,さらにウチの機種には独自機能が付いているんです」との売り文句で,他社を撃退しようとのもくろみだった。

「なんで回らないんだ?」
「ハードは出来てるんですけど,ソフトが遅れてまして」

「え?ソフト?」
「はい。今回の機種から洗濯槽の制御にソフトを使うことにしたもので」

「ソフトがないと,今度のモータは動かないのか」
「えぇ。東芝も松下もみんなそうしてますし」

 なんてことだ。あっちもこっちも動かない。

「早く回してもらわないと,発売日に間に合わなくなるんですよ」

 品質保証部からは試作機の催促が毎日のように来る。もはや文句を言ってる暇すらない。なんとかしないと。大杉氏は現場に張りつき,多賀工場は不夜城へと姿を変えていった。

白い約束でデビュー

 1999年7月,発売1カ月前。悪戦苦闘の甲斐あって洗濯槽はなんとか回るようになったが,最後まで残ったのは逆止弁問題だった。この逆止弁は,ゴムとプラスチックの玉を使って流れを止める単純なもの。大杉氏と菊池氏は,玉の形を円筒状にしたり,ゴムのパッキンの厚みを変えたり,変えられるところはすべて変えてみた。

 そして,見つけた。わかってみると,原因はきわめて単純なことだった。金型に傷があったのである。ゴムのパッキンはたこ焼きのように,金型に樹脂を流し込んで20~30個いっぺんに作る。この金型に傷があったため,パッキンにすき間ができ,水漏れの原因になっていたのだ。

 そして,1999年8月。2代目イオン洗浄洗濯機が,いよいよ「白い約束」という名前で発売される(図4)。

図4 2代目イオン洗浄洗濯機「白い約束」
(a)初代機とは全体のデザインを変え,イオンチェンジャーの部分が出っ張らないようにした。(b)2代目イオンチェンジャー。(写真:(a)は日立製作所,(b)は本社映像部)