「えー,ユーザ調査によりますと,洗濯機への不満ワースト・スリーは,えり・そで汚れ,靴下の汚れ,布がらみ,となっております。このうち,布傷みに関しては来年のモデルで対処する予定ですので,再来年のモデルでは洗浄力に焦点を当てるべきと考えます。すでに設計部には,この方向で議論を進めていただいている次第です」

「補足になりますが,設計部では洗浄力強化の実現方法として現在のところ,モータの改良,洗濯槽の見直し,そして軟水化を候補に考えています」

「…その,最後の軟水って何ですか」

「水道水からCaイオンなどを取り除いた水です。軟水を使うと洗剤の働きを阻害する成分がなくなるため,結果として洗浄力が向上すると言われています」

「いやそれはわかるんですが,軟水化のアイデアはずいぶん前にボツになったはずですけど。確か,あまり効果がなさそうだということで見送りになりましたよね」

「いや,確かに,アイデアは昔からあるんですよ。ただ,装置が大掛かりになりそうなんで,手を着けにくかったんです。まあ,効果の方がはっきりしないということもあったんですけど」

「それじゃあまず,どのくらい効果があるのか研究所に調べてもらったらどうですか。とりあえず,他の候補よりは新鮮味がありそうだから」

軟水って効果あるの?

 会議の結果は,すぐに研究所に伝えられた。洗浄効果確認の依頼を受けたのは小池敏文氏である(図2)。

図2 小池敏文氏
機械研究所第一部主任研究員。 洗濯機の新製品の開発に従事す る。「イオン洗浄」機能の生みの 親である。(写真:新関雅士)

「今度の依頼は軟水か。ほんとに効果あるのかなぁ」

 まずはビーカに洗剤を入れ,水を注ぐ。

「日本の水はもともと軟水に近いんだよね。それをもっと軟水にしたからって,意味あるのかなぁ」

 次にかくはん機をセットし,汚れた布のサンプルを入れる。

「ヨーロッパだと,水のせいで石鹸の泡立ちが悪いし,髪もゴワゴワになるから,軟水機なんてのが広まってるけど。だいたい市販の洗剤にだって,軟水にするための成分は入ってるわけだし…。まあ,依頼は依頼だからな」

 どう考えてみても効果がありそうには思えない。浮かぬ顔つきで,かくはん機のスイッチを入れる。

「そろそろ,いいかな。よーし,洗濯終了」

 まずは,水道水のビーカから確認する。布きれの色は,黄ばんだ茶色。見慣れた色だ。次に軟水のビーカから布を取り出す。

「あれ?やっちゃったかな」

 布に汚れを付け忘れたのかもしれない。実験準備の手続きを反復してみる。いや,確かに汚れはしっかりつけた。ということは…。

「スゲー,落ちてるよ」

 取り出した布は真っ白だった。これならゼッタイいける。抱いていた疑念は,いまや跡形もなく消え飛んでいた。