1994年6月に発売,たちまちヒット商品となった「MJ-700V2C」。
だが,開発陣はモノクロ印刷の品質では納得できず,
その1年後に投入したプリンタで,黒インクを替えた。
ところが,それが原因で問題が発生,評判はみるみる落ちてしまう。
あせった開発陣は応急処置を施して新たなプリンタを製品化する…。
こうした一連の「試練」を通じ,
プリンタの基本的な技術がほぼ完成してきた。
――あのときのインクの選択は,結果的に見れば間違っていたということでしょう。「MJ-700V2C」(1994年6月発売)の大ヒットでせっかく勝ち得た評価を,1年後に投入した次機種で落とすことになってしまったわけですから…。
それまで市場でのトップ・シェア争いは,ウチとキヤノンが互いに抜きつ抜かれつという状況でした。それが,次機種を発売した後の1995年~1996年にかけては1位がキヤノン,2位がセイコーエプソンと差がハッキリついてしまいました(図1)――。
プリンタ開発者の一人,碓井稔氏はこう振り返る(図2)。碓井氏のいうインクの選択とは,大ヒットした「MJ-700V2C」で初めて用いた「超浸透型」と呼ぶインクを,「MJ-700V2C」の次に発売した機種では替えてしまったことである。「替えた」といっても,新たに開発したインクを選んだのではない。「MJ-700V2C」の前の機種,つまりインクを替えた新プリンタからみると,2機種前で使ったインク「緩浸透型」に逆戻りしたのだ。しかも代えたのは黒インクだけだった。
満足していなかった開発陣
――こうした選択をしたのは,ワケあってのことです。評判が高く,良く売れた「MJ-700V2C」でしたが,実は開発陣からするともろ手を上げて「やったあ。予想通りに売れた」という雰囲気ではありませんでした。
当時はカラー印刷というよりモノクロ印刷が主流です。だから,ユーザはインクジェット・プリンタのモノクロ印刷でも,レーザ・プリンタ並みのクオリティを望んでいたのは確かでした。ただ,ウチとしては「MJ-700V2C」ではカラー印刷ということを前面に押し出した。とにかく,「きれいなカラー印刷」をウリにしたんです。