前編より続く

 とにもかくにも,開発は無事に終了しました。そしてすでに,次の開発も進行し始めていたのです。ちょうど私(碓井)が最初に開発部から設計部に異動したとき,大渡さんが設計部から開発部に移ってきました。私と入れ替わるかたちで。

図3 主にインクやプリント・ヘッドの開発を担当した大渡章夫氏
1978年に入社。現在は情報画像事業本部IJ機器企画設計センターIJ設計部部長である。(写真:小杉善和)

 あのときは,まだインクがきちんと飛んでいなかったんだけど,ヘッドはだいたいできていた。それを使って,今度はカラー画像を打ち出そうというわけです。その開発を任されたのが,大渡さんだったんです(図3)。

「プリンタをカラー化せよ」

 そうでした。あの異動は私と碓井さんが,1対1で「交換トレード」されたって感じで。ちょうどそのとき,私は「MJ-500」の前の機種である「HG-5130」の開発をだいたい終えたころでした。

 そのころから,他社がカラー・プリンタを市場に出し始めたのです。1992年くらいだったかな,ウチでも「カラー・プリンタを開発するように」と上司から言われるようになりました。「エプソンはいつカラー・プリンタを出すのか」というユーザの声もありまして。いずれにせよプリンタのカラー化は,プリンタ・メーカにとって避けては通れない道だったのです。まだ当時は,モノクロ全盛の時代でしたけど。

 もともと私は大学で化学を専攻していて,会社に入ってからは主にインクの開発を手掛けてきました。カラー・プリンタの開発が決まった当時,ヘッドはすでにある程度でき上がっていた。あと必要なのはカラー・インクってことで,その開発を任されたんです。

カラー印刷と白黒印刷は別モノ

 それまでは黒インクだけを使って,文字やモノクロ画像を印刷していたわけです。でも今度は,イエロー,マゼンタ,シアンの3色を加えてカラー画像を作る。「なんだ,インクの種類をただ増やせばすむ話でしょ」なんて思ってません?

 そうじゃないんですよ。カラー画像をきれいに印刷するって,実はすごく大変なことなんです。開発の段階では,まったく予想もしていなかったことが次々起こりましてね。単にインクの種類を増やせばOK,なんて考えていたら大間違いですよ。

 黒インクだけを使って印刷していたときには,インクが紙に対してあまり「濡れ」ないようにしていました。インクと紙の濡れ性が高いと,紙の上でインクがにじんでしまうためです。

 紙ってミクロ的に見れば,細かい繊維でできてますからね。その繊維に沿ってインクがジワジワと広がってしまう。だから,インクが紙に着弾した後は,できるだけ広がらないような工夫をしていたわけです。着弾後はインクの水成分をできるだけ早く蒸発させ,染料だけを紙上に残すっていう原理で印字するんです。