常識を覆すというタブーに平岡が挑むことができたのは,入社以来一貫して冷蔵庫の開発に携わってきた経験と,その中で得た信念があったからだ。さらに,冷蔵庫に対する熱い思いが,それを後押ししていた。「冷蔵庫には,ほかの製品にはない特徴がある」。平岡はこう思っている。その特徴とは「家族をつなぐ製品」ということだ。デジタル家電であれば,お母さんやおじいちゃんなど家族の一部に使わない人もいる。でも冷蔵庫は,家族の全員が毎日のように使う。家族をつなぐ要として,安心や喜びを提供できる冷蔵庫を開発したい…。そんな思いが,入社から時を経て,家族全員が毎日食べる食品の栄養を増やす,という発想にたどり着く原動力となった。

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女性初のエンジニア

 「新しいもの,新しい文化をつくり,新しい価値を創造すべく仕事をしてほしい」――。平岡が三菱電機の一員に加わったのは,男女雇用機会均等法が制定された1985年。同期入社の女性は100人程度と多く,テレビ局が取材に来たのを覚えている。当時の社長だった片山仁八郎は,入社式で新入社員たちに新しい価値を創造する重要性を説いた。

 平岡は食べることが好き,そして静岡県出身ということもあって,冷蔵庫の開発拠点である静岡製作所を希望した。男女雇用機会均等法の影響もあってか,製造部に初の女性エンジニアとして配属された。

三菱電機の冷蔵庫の開発拠点である静岡製作所。

 冷蔵庫を開発する技術者になったからといって,すぐに常識を覆すような斬新な機能を発想できたわけではない。新人として,先輩たちが考えた新しい機能を確認する実験を担当することから始めた。最初に担当したのは,野菜室に野菜を入れて,温度や湿度などの条件を変えながら保存性を確かめる実験である。ある一定の温度と湿度で野菜を野菜室に1週間保存し,その変化を毎日毎日記録するのだ。そして次の週には温度や湿度を少し変え,野菜の変化を再び見続ける。こうした作業を平日だけでなく日曜日にも出社して,気の遠くなるくらい繰り返した。

 アイスクリームを作る機能を開発した際には,条件を変えて作った50個以上のアイスクリームを机に並べて試食したこともある。

 「平岡さん,食べることが好きだったよね。どんどん食べて」

 「いくら食べることが好きだといっても,一度にこんなにたくさんは…」

 真冬だったために,エアコンをガンガンに利かせた部屋でコートまで着込んでいたが,体は自然とブルブル震えていた。

 地道な作業が続いたが,平岡の実験結果を基に導き出された最適解は,冷蔵庫の機能や使い勝手を高めることに役立った。すると,それまで何の気なしに見ていた冷蔵庫に対する印象が,平岡の中で少しずつ変わり始めた。冷蔵庫を構成する,ありとあらゆる部位に,技術者たちの思いや努力の跡が浮き出て見えてきたのだ。「冷蔵庫って,こんなところまで考えて設計されていたのか。野菜を保存する条件はもちろん,棚の間隔や配置まで」―。

 先輩たちが「常にユーザーを見て仕事をしろ」と,口を酸っぱくして言う意味がようやく分かった。実験結果に基づいた細かな配慮は,日々の使いやすさを高めることになり,ユーザーの満足感の向上に直結する。「ユーザーに喜んでもらえる機能を自ら開発したい」。冷蔵庫に対する思いは自然と高まっていった。

―― 次回へ続く ――