貨物から衣類、大根に至るまで…。
ありとあらゆるモノを識別するのに使える無線タグIC。
その先駆けとなった「ミューチップ」を開発したのは日立製作所の中央研究所に勤めるベテラン技術者、宇佐美光雄氏である。
ミニコンの営業部門に籍を置いていたこともある異色の経歴の持ち主だ。
「研究者であっても、研究成果の用途を常に意識していなければならない」。
経験の中で培ったその信念こそが世の中をあっと言わせるICを生んだ。
ゴマ粒チップの開発
目次
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最終回:最後の決め手は恋の駆け引き(下)
発表と同時に,ミューチップの営業部門には電話や電子メールなどで問い合わせが殺到した。食品の産地を示すラベルの偽造事件や医療過誤などが世間で注目を集めていたことが拍車を掛けた。
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第9回:最後の決め手は恋の駆け引き(上)
両面電極型の次はアンテナ内蔵型。ミューチップの開発は順調に進んでいった。その一方で、量産ラインを立ち上げて事業を軌道に乗せるには大口顧客を是が非でも獲得しなければならなかった。そんな期待を一身に集め、光ディスク事業を支えた手腕を買われた日立製作所の井村亮が、ミューチップの事業化を推進する責任者に指名…
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第8回:山積みの鋼板と格闘する (下)
ところが,いざミューチップを発表してみると,これまでのように自分たちのペースで研究を続けることは難しいことが開発チームには分かってきた。有望なアプリケーションをいち早く事業に結び付けたいという営業部門のプレッシャーが,一気に押し寄せてきたためだ。
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第7回:山積みの鋼板と格闘する (上)
ICカードに求められる機能をネットワークの先のサーバに任せID番号を格納した極小チップだけ管理するという逆転の発想。ここから生まれたミューチップは、ようやく試作段階までこぎ着けた。試作チップの最初の検証では、いったんは動作を確認できたつもりだった。ところがその直後、蛍光灯からの雑音を拾っていたことに…
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第6回: 返済条件付きの開発資金 (下)
ここまで仕様が固まってくれば,ミューチップを試作してみるしかない。ところがここで問題にぶつかった。「極小チップを世の中に広めたい」という宇佐美の熱い思いが先行する一方で,有望なアプリケーション,そして顧客をほとんどつかめていなかったのである。いくら画期的なアイデアでも,用途が見えていなければ,チップ…
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第5回:返済条件付きの開発資金(上)
極薄チップの製造技術によって、ICカード事業を立ち上げるキッカケをつくった日立製作所の宇佐美光雄。次に目指したのは、ゴマ粒ほどの大きさしかないチップの開発だった。小型化によってチップの機械的強度を高めるのが狙いだ。ただし、チップを小さくすることは機能を削ることを意味する。その矛盾を解こうと考えあぐね…
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第4回:極薄加工技術研究所を飛び出す(下)
極薄ICカードの実用に向けて,宇佐美には解決すべき課題がもう1つあった。チップとアンテナをつなぐ手法の確立である。カードの厚さを250μm以下に収めるには,できるだけ接続部を薄くする必要があった。
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第3回:極薄加工技術研究所を飛び出す(上)
日立製作所の中央研究所に勤めるベテラン技術者、宇佐美光雄には野望があった。製造工程でLSIに生じた欠陥を直す技術を実用化することだ。LSIをタイル状に区切っておき欠陥を発見したときにはそのタイルだけ交換する。この手法のカギを握る厚さ10μmの極薄チップを作ることにも成功しあとは事業部門に認めてもらう…
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第2回:営業する研究者(下)
デバイス開発センターに移ってから約3年がたった1979年の冬。宇佐美は雪の米国フィラデルフィアに降り立っていた。生まれて初めての海外渡航。緊張しつつも,胸中は自信に満ちあふれていた。「IEEE International Solid―State Circuits Conference(ISSCC)」…
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第1回:営業する研究者(上)
貨物から衣類、大根に至るまで…。ありとあらゆるモノを識別するのに使える無線タグIC。その先駆けとなった「ミューチップ」を開発したのは日立製作所の中央研究所に勤めるベテラン技術者、宇佐美光雄氏である。ミニコンの営業部門に籍を置いていたこともある異色の経歴の持ち主だ。「研究者であっても、研究成果の用途を…