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「どうだ,動作検証は?」

「9合目まで来た感じです。でもトラブルも幾つかありまして…」

「急がないと時間切れになるぞ。発売はもう目前だからな」

 2004年夏――。世間はアテネ・オリンピックの興奮に包まれていた。水泳に柔道,陸上など有力選手が次々とメダルを獲得し,人々は歓声を上げた。こうした中,松下電器産業の福島工場は全く異質の熱気が充満していた。デジタル・カメラの量産立ち上げが,大詰めを迎えていたのである。

 工場には,そのデジタル・カメラの開発に携わったエンジニアが入れ代わり立ち代わり訪れた。そして最後の仕上げに取り組む。自宅を離れ,数カ月にわたって滞在する者も少なくない。オリンピックの盛り上がりを楽しむ時間など,彼らにはなかった。粉骨砕身の努力を注いで開発を進めてきた新製品を,無事に孵化ふかできるかどうかの瀬戸際にあったからである。

 その新製品こそ,松下電器産業が満を持して投入する薄型コンパクト機だった。

理想の薄型機を目指して

「これが限界です。削りに削って23mmです」

「23mm? それではダメだ。何としてでも鏡筒は20mmにしたい。あと3mm,薄くならないか」

「それはむちゃです。できないものはできませんよ!」

 振り返れば,量産立ち上げに至る1年間,松下電器産業の開発陣はその薄型コンパクト機の開発に一丸となって取り組んできた。デザイン,画質,レンズ,電子部品,半導体,電池――。ありとあらゆる機能や性能,部品を徹底的に見直す。製品企画を担う部門と技術開発を進める部門は激論を交わし,しばしば衝突もした。レンズ鏡筒の設計方針も,もまれにもまれた一つである。