前回から続く

 2001年1月,松下電器産業に「DSC開発センター」が組織される。開発プロジェクトが正式に組織となり,初代所長に嶋が就任した。当初はわずか20 人ほどのチームだったが,房と友石が指揮を執り,商品企画と技術検討を本格化させていく。

「手ブレ補正を採用しましょう」

「房さん,手ブレ補正ですよ。それも光学式。デジタル・カメラこそ,コレが効くんです」

「分かった,分かった。もう勘弁してくれ。その話はもう7回目だよ」

 房は思わず苦笑いせずにはいられない。顔を合わせるたびに,「手ブレ補正,手ブレ補正」と売り込んでくる彼は,林孝行。研究所で光学式手ブレ補正技術の開発に取り組むエンジニアである。

 DSC開発センターを設立した話は当然,林にも伝わった。林は居ても立ってもいられない。それを聞くや否や房のところに飛んでいって,光学式の手ブレ補正技術を組み込もうと訴える。なにせ林は,ビデオ・カメラの手ブレ補正技術を電子式から光学式に転換させた開発陣の一翼を担っていた。光学式に関する思い入れは,人一倍強かったのである。

 林には,ある確信があった。ビデオ・カメラで実用化したインナー・レンズ・シフト方式の光学式手ブレ補正技術こそ,デジタル・カメラに最も有効な手法なのだと。

 一方のDSC開発センターでは,夜な夜な激論を交わしていた。よほどインパクトのある商品を世の中に送り出さなくては,「3年でナンバー・ワン」という目標は達成できないだろう。しかし経験の乏しい中,いきなりホーム・ランを打てるはずがない。そこで最初の数機種は,松下寿電子工業が手掛けていた製品や技術を発展させることとし,遠からずシェア拡大の決め手となる製品を投入しようと動いていた。本命となる製品の企画や要素技術は,しばし時間をかけて成熟させようというのである。

 手ブレ補正の採用を以前にもまして訴えてくる林を時に煙たく感じながらも,房や友石らは次第にその熱意に感化されてくる。「ひょっとしたら競合に一矢を報いる秘技になるのではないか」――。とはいえビデオ・カメラで実績があるものの,デジタル・カメラに光学式の補正技術など搭載できるのだろうか。ビデオ・カメラは普通,10万円以上もする高額商品。寸法もデジタル・カメラに比べて2倍~3倍は大きい。果たしてデジタル・カメラに手ブレ補正技術を採用して,価格や寸法の折り合いは付くのだろうか…。

後戻りはできないぞ

「林君,ええな。本当にやるよ」

「本望です。やります」