「なぁ友石君。一緒に歯を食い縛って頑張っていこうな」――。

 会議が終わり,友石は大坪から声を掛けられる。大坪は分かっていた。その目標を達成するには,生半可な努力では成し遂げられないことを。そして友石は思った。中村の指示は絶対だ。失敗すれば自分の居場所はないだろう。さりとてナンバー・ワンなど夢のまた夢。進むも戻るもまさに地獄への道のりになるな,と…。

 こうして2000年11月にデジタル・カメラの開発プロジェクトが発足する。嶋と房,そして友石は,開発体制を整え始める。社内はもちろん,松下グループのウエスト電気,日本ビクター,松下寿電子工業(現パナソニック四国エレクトロニクス)にも,共同開発や関連する技術者の派遣を要請する。

 デジタル・カメラ市場そのものは当時,倍々ゲームで成長を続けていた。ソニーやカシオ計算機などエレクトロニクス・メーカーも上位シェアに食い込んでいたが,彼らは早期の参入組。松下電器産業は遅れに遅れていた。

 実は一時,松下電器産業も数機種を市場に投入したことがある。しかしビデオ・カメラ事業を重視する方針などから,早々に撤退していた。その後はグループ内の松下寿電子工業が細々と手掛ける程度だった。

―― 次回へ続く ――