カメラの進化を,メカトロニクスとエレクトロニクスが両輪となって支えるようになって久しい。
例えば「自動露出」。写真業界の老舗だったドイツAGFA社が1956年に考案した技術である。今では一般的なスチル・カメラに搭載されるようになり,シャッター速度から絞り値まで最適化している。「自動焦点」は1977年に当時のコニカが実用化に成功した技術で,瞬く間に一般化した。あらゆるスチル・カメラやビデオ・カメラに内蔵されるようになり,撮影者はピンボケの不安から開放された1)。
1) 大嶋ほか,「手振れ補正の着想とその事業化」,『映像情報メディア学会技術報告』,Vol.29,No.7,pp.33-43,2005年1月.
そして,最近のカメラに広く浸透し始めているのが,撮影した画像のブレを自動的に安定化させる技術である。俗に「手ブレ補正技術」と呼ばれるものだ。 1988年に民生用ビデオ・カメラに初めて搭載されたこの技術は,普及価格帯のビデオ・カメラや一眼レフ・カメラ,デジタル・カメラのコンパクト機などにすそ野を広げている。まさにカメラの基本機能として認知されるようになったといっていい。
手ブレ補正技術もやはり,メカトロニクスとエレクトロニクスの融合から生まれた華麗な成果である。とはいえ,ここまで普及するには数多くの技術者の,華麗とは程遠い地道で実直な努力の積み重ねがあった。
基本的な着想が生まれたのは,実に今から25年ほどさかのぼる1982年のこと。それが大きく開花するまで,何度となく技術開発のバトンが受け継がれてきた。幾人もの技術者が時には短く,時には長きにわたりかかわりながら,技術を成熟させ,完成度を高め,そして応用先を広げていった。
このバトンが受け継がれていった舞台が,松下電器産業である。同社は手ブレ補正技術を民生用ビデオ・カメラに初搭載した後,新方式の考案やデジタル・カメラへの展開など,競合メーカーの一歩先を走り続けてきた。
発明の始まりはしばしば,意外な出来事が引き金になる。この手ブレ補正技術も,数々の偶然の積み重ねの中から生まれた。それはある技術者が,ハワイを訪れたことから始まる――。
ブレちゃってブレちゃって
「うーん,気分がいいね。最高!」
こう言いながら思わず笑みを漏らしたのは大嶋光昭。それもそのはず,ここはハワイ。透き通る青い空と海,そして温暖な気候。誰もが自然とほおをほころばせる常夏の楽園だ。
1982年の夏休み。松下電器産業の研究所に勤める大嶋は,同僚と一緒にハワイ旅行に出掛けた。当時は今と違い,海外旅行など気軽にできなかった時代である。日ごろの憂さを忘れて,観光を楽しんでいた。
「カメラの調子はどうよ?」
「撮れてるよー。これ,面白いね」
仲間とドライブの最中,大嶋はビデオ・カメラを撮影していた同僚に声を掛けた。当時のビデオ・カメラは民生用といえども50万円を下らない高級品。自前では到底調達できないが,会社にあった評価用の備品を拝借してきたのだ。1980年代,企業の研究所にはおおらかな雰囲気が漂っていた。使用レポートの提出は義務付けられていたものの,「貴重品」を簡単に借りることができたのである。
「でもさ,ブレちゃってブレちゃって。なかなか上手に撮れないよ。ほらまたブレた。こりゃ,大変だ」