前回から続く
1995年10月17日~21日に大阪で開催された「エレクトロニクスショー’95」では,SD規格やMMCD(マルチメディアCD)規格方式に基づくDVDプレーヤの試作機などの話題で盛り上がる中,DMDの展示もあった。(写真:日本エレクトロニクスショー協会(右下))

ミラー・デバイスである「DMD」の応用先を開拓しようと
米Texas Instruments Inc.のスタッフが国内外を駆け巡る。
当然,日本の展示会では
大掛かりなデモンストレーションを行った。
1995年に大阪で開催されたエレクトロニクスショーでも
DMD利用のディスプレイやプロジェクタを出展したのである。
このプロジェクタを目当てに,東京から3人の男たちがやって来た。

「へえー。これがあのDMD」

「光学系まで作り込んである! エンジンとは,これのことか――」

 1995年10月。大阪・住之江区の国際見本市会場「インテックス大阪」。エレクトロニクス業界で最大のイベントである「エレクトロニクスショー」の会場で,3人の男たちが,半ば熱にでも浮かされたように展示物を凝視していた。米Texas Instruments Inc.(TI社)のブースに設置されていた,DMD(digital micromirror device)利用のフロント・プロジェクタである。

 TI社はこのエレクトロニクスショーで,DMDの開発パートナーを探すことに力を入れていた。試作したばかりの 576×768画素のDMDと,それを2個使ったPAL方式のリア・プロジェクション型ディスプレイを出展し,国内メーカーに向けた強烈なアピールを行ったのである。加えてフロント・プロジェクタ用のシステムも展示し,実際に映像を投影して見せた。

米Texas Instruments Inc.が「エレクトロニクスショー ’95」で出展した,DMD を実装したボード。600×848画素のDMDを3個使ったフロント・プロジェクタも出展した。画面の明るさは約1000ルーメンあったという。

 TI社はこのころから,DMDを使った映像関連技術を「DLP(digital light processing)」と名付け,ブランドを広める戦略を採り始めていた。この展示会でもDMDやDLPのブランド名を広く認知させるべく,積極的な展示を行ったのである。

 当時のフロント・プロジェクタ用システムは,DMDのほか,DMD駆動用ASIC,そしてランプやレンズなどの光学系を含んだ参照デザインだった。TI社はこのデザインを「エンジン」と呼んだ。3人の男は,リア・プロジェクション型ディスプレイの展示には目もくれず,エンジンの展示ケースの周囲をぐるぐると回りながら,内部の構成を持参したノートにスケッチしていった。

OHPからプロジェクタへ

 3人はいずれも事務用品メーカーであるプラスの開発技術者。このうちの1人は,OHP(overhead projector)の開発を担当していた南公一である。南たち3人がエレクトロニクスショーに参加した最大の目的は,エンジンを見ることだった。フロント・プロジェクタの開発を狙っていたためである。

 プラスは当時,事務用品に加えて会議に使う機器として,OHPや電子黒板など「ミーティング・ツール」の製品化に力を入れていた。特にOHPでは小型化で先行しており,世界最小級のOHPを開発するほどの技術力を誇っている。