前回から続く

 デモを何とか成功させた大原たちとTI社のスタッフは,ひとまずダラスに戻る。DMD用ASICの開発サポートの仕事がまだ途中だったのだ。

大化けするかもしれないが

 ダラスには,DMDの実用化に全力を挙げる社内ベンチャー・プロジェクトのメンバーがそろっていた。

米国テキサス州ダラスの開発拠点ではDMDの特性改善が進んでいた。(写真:林幸一郎)

「3カ月だけダラスに行ってきてくれ。開発が終わったら,ビデオ用DSPの設計にまた戻るように」

 大原は日本で上司にそう請われてダラスに赴いていた。もちろんDMDに興味は持っていたが,信頼性への不安が大きかった。会社がDMDに注力していくのを見るにつけ,「本当にモノになるのだろうか」という疑念は,正直なところ消えていなかったのである。東京でのデモで冷や汗をかいた経験は,そうすぐに忘れられるものではない。

 大原を不安にさせていた理由はもう一つあった。ダラスに戻った直後に,ダラス側での直属の上司が転職してしまったことだ。DMD向けDSPの重要性もよく理解していた人で,もともとは彼に請われてダラスまでやって来ていたというのに…。

「面白そうな技術だし,もしかすると大きく化けるかもしれない。でも,もう少し時間はかかりそうだな」

 そう感じていた大原は,まずは予定の仕事をなるべく早く片付け,日本に帰ることを考え始めていた。

3カ月のはずだった

 大原たちの努力が実り,DMD用のDSPは当初の計画通り3カ月で,ひとまず開発を終了した。

「基本的なソフトウエアに関してはこれで十分なはずだ」

 帰り支度を始めたころ,DMDのベンチャー・プロジェクトのスタッフが大原らの元を訪ねた。いつもランチを共にするときとは違う,真剣な面持ちだ。

「帰らないでくれ。あと3カ月,一緒にやってくれないか」

 突然,こう切り出された。

「そんなことを言われても…」