米国テキサス州,最大の都市ダラス。 牧牛とカウボーイの歴史のある町で,1つの技術が産声を上げた。
その技術は長い間世に出ることなく,一時は消滅の危機にさえ見舞われた。
しかし1人の男の長い年月にも及ぶ苦闘をキッカケに今では知らぬ者はいないコア技術と呼ばれるようになった。
その男がどうしてもあきらめられなかった技術――。
それが微小ミラーを使った光学技術「DLP(digital light processing)」である。

 米国で人気沸騰中の大画面の背面投射型(リアプロ)テレビ,手のひらに載るほどに小さくなったフロント・プロジェクタ,そして米国ハリウッドの映画会社も注力し始めたデジタル・シネマ…。最近のディスプレイ業界をにぎわすこれらの製品や,その応用市場に欠かすことのできない要素技術。それが「DLP(digital light processing)」である。

 DLPは,微小なミラーによる光の反射を利用した光学技術だ。要素技術を開発したのは米Texas Instruments Inc.(TI社)だが,現在,DLPを採用する企業は多岐にわたっている。DLP搭載リアプロ・テレビの機種数はこれまでに50以上に達し,フロント・プロジェクタでは全体の40%の機種がDLPを採用する。いずれもDLPの採用機種はさらに増える勢いだ。

 この人気を受け,TI社が生産,販売するDLP向けデバイスの累計出荷数も急伸している。1996年~2001年の6年間は100万個の出荷にとどまっていたが,その後の2年間で200万個を出荷。さらにその次の200万個の出荷は,わずか8カ月で達成したほどだ。今も出荷数の伸び率は上昇中である。

 出荷増が続いているDLPを支える中核部品が,DMD(digital micromirrordevice)と呼ばれるチップだ。Siのマイクロマシニング技術を駆使して,半導体チップ上に可動するミラーを作り込んでいる(2ページの「DLPのコア技術,DMDの動作の仕組み」参照)。LSI上に可動部を設けるという斬新な発想が,新しい機器とアプリケーションを生み出す原動力となった。

米国テキサス州の州都ダラス。その市街から30kmほど北上した所に,「プラノ」 という町がある。そこに現在,TI社のDLP向けデバイスの開発拠点がある。(写真:林 幸一郎)

 このDMDの開発を成し遂げた中心人物。それが,TI社のLarry J. Hornbeckである。開発に着手してから,初めて製品が世に出るまで20年…。この間,あきらめずにDMDの製品化に心血を注いできた。Hornbeckはこの業績が高く評価され,今ではTI社の研究者では最高の評価に値する「Fellow」の職を得ている。

 もはやTI社で彼を知らぬ者はいない。なぜなら,きっと今日もお気に入りのカウボーイ・ブーツを響かせながら研究部門を闊歩かっぽし,開発に指示を出しているのだから…。

 「Larry」。TI社の同僚や部下は,彼のことを親しみと尊敬を込めてこう呼ぶ。そもそもLarryがこの新たな光学素子の開発に取り組むことになったキッカケは,今からおよそ30年も昔にさかのぼる。

発端は光信号処理

「ミラーを動かすようにしたらどうかな?」

「いや,それでは特性が不安定になってしまう」

「それにミラーを可変にしたとき,どうやって動作の安定性を高めるんだ?」

 1977年11月――。米国テキサス州ダラス近郊。この街の一角に,TI社の中央研究所「CRL(Central Research Laboratory)」がある。そこに3人の男たちが集まり,やむことのない熱い議論を繰り広げていた。

 3人は,いずれもTI社の技術者。米国政府がスポンサーとなった,光情報処理に向けた空間光変調器の開発プロジェクトのメンバーである。