前回から続く)

 1998年春。電源やモータ関係の展示会「TECHNO-FRONTIER WEEK 98」をうろつき回る男がいた。アイ・エイチ・アイ・エアロスペースの齋藤浩明である。

死の世界で生き続ける

MINERVAの試験機
MINERVAの試験機。実験初期の段階で,個別部品を組み合わせて機能を実現したBBM(bread board model,上)と,実際に宇宙へ旅立ったものと同じプリント基板やほぼ同じ部品を使ったPFM(prototype flight model,下)(写真:山西英二)

 齋藤が向き合ったのは,同僚の足立が格闘した無重量実験装置に勝るとも劣らない難題だった。ギリギリの予算,限られた容積と重量の枠内で,MINERVAの実現を許す部品の調達である。何しろ,類似の開発プロジェクトの常識からすると雀の涙ともいえない資金しかない。宇宙向けの高価で重い部品の多用は,はなから眼中になかった。民生機器に組み込むような汎用部品を使いこなし,支出も重量もなるべく切り詰めたい。

 ただしMINERVAが飛び立つのは,想像を絶する過酷な環境である。宇宙科学研究所の吉光の論文によれば,目的地のイトカワは表面温度が-100~+140℃の間で激変する死の世界と予想されていた。四方からは高エネルギーの放射線が降り注ぐ中,民生部品で本当に耐えられるのか。齋藤は事前の検証でなるべく懸念を払拭するつもりではいた。それでも齋藤が一つ選択を誤っただけで,プロジェクト全体が水泡に帰しかねない。

 展示会場で齋藤は,MINERVAに搭載できる部品を探し,めぼしい企業を見つけては声を掛けていた。お目当ての一つは蓄電部品である。

 MINERVAは,電力の供給に太陽電池を用いる。もっとも,太陽電池に常に光が当たるわけではなく,一気に大電力を供給すべき場合もあるため,2次電池の併用が必須だった。問題は使用温度である。充電や放電に化学反応を使う電池の場合,温度が100℃を超えると電解液の反応が進み,特性がたちまち劣化する。低温では電池容量が減ってしまう。MINERVAは20時間で自転するイトカワで,3日間稼働することを目安にしていた。60時間だけでも,正常に動作させる術はないものか。

飛び込んできた幸運

 「やっぱりケミカルは絶対無理だな…」。一人悩む齋藤の目に,ある企業の展示が飛び込んできた。当時,道路標識などに向けて太陽電池との併用が始まっていた電気2重層キャパシタである。電気2重層キャパシタは,基本的に化学反応を利用しないで蓄電する。もしかしたら使用温度範囲が広くても使えるのではないか…。

 「あのう。ちょっといいですか」。齋藤はその場にいた開発者に相談を持ちかけた。自分は宇宙でも使える部品を探していること。そのためには極めて広い使用温度範囲が必要だが,2次電池では実現できそうにないこと…。開発者は齋藤の話に興味を示した。展示会での立ち話を皮切りに,齋藤とメーカーの議論が始まった。