富士写真フイルムのディジカメ開発物語は最終回。発売を3カ月後に控え,設計部は開発の追い込み作業に入っていた。ソフトウエア・グループが不具合の解消に四苦八苦している一方で,ひたすら基板と格闘している技術者。彼には画像に表れるノイズを一刻も早く除去するという使命があった。
「さあ最後だ。電源回路はだれにする?」
1997年春のことである。基板実装グループの4人は,リーダである松尾淳一氏を中心に,グループ内の役割分担を決めていた。
残っていたのは電源回路の実装。だれもが,なるべくなら担当したくない回路である。最もノイズの発生源になりやすい回路だからだ。最後,ノイズを除去していく段になって,だれよりも苦労するのは目に見えている。
ほとんどの技術者はこのときすでに,自分の担当を持っていた。まさか電源もついでに担当しろとは言われないだろうが。そう思いつつも不安は拭えない。知らず知らず,みなうつむき加減になる。
「川角君,どう?勉強にもなるし,やってみない?」
川角政司氏は,自分から積極的に「やらせてください」と切り出すタイプではない。でも,言われれば心良く引き受けてしまう質なのだ。彼はすでに撮像系の回路を担当することを決めていた。せっかくああ言ってくれてるんだし,ついでだから電源回路もやっちまうか。
「じゃあ,やらせてもらいます」
富士写真フイルムのディジカメ開発には,毎回「ハメられる」人間がいる。思いのほか大きな負荷をかけられて,苦しめられるのだ。そしてこのとき,まんまとハメられたのが川角氏だった。
やるしかない
「そうだよな。よく考えれば,えらい大変だということはわかってたんだよな。ハメられちゃったのかなあ」