前回から続く)

富士写真フイルムのディジカメ開発物語は第4回目。デザイン変更を許されない設計部は,なんとか与えられた筐体にすべての部品を詰め込むことに成功する。ところが,完成した試作品はまったく動作しなかった。その暗中模索の真っ只中に一人のソフトウエア技術者が開発に加わることを命じられる。

図1 国分幸三氏
電子映像事業部 設計部。ディジタル・スチル・カメラのソフトウエア開発に従事する。今回の開発に加わる前は35万画素のディジタル・スチル・カメラを担当していた。(写真:新関雅士)

 「小さいよね,それ」

 「ええ,小さ過ぎちゃって」

 「大変?」

 「すごく大変。国分さんもご一緒にどうですか」

 「いやいや,私なんかとてもとても。ははは…」

 国分幸三氏は,ディジカメに組み込むソフトウエアの開発者。当時,彼は35万画素ディジカメの開発に携わっていた。

 会話の相手は,隣りのチームで150万画素ディジカメを担当するソフト開発者。彼らが取り組んでいたのはCCDが150万画素,しかも民生向けに価格を抑えた製品だ。150万もの画素データを高速に処理できる専用LSIは,あるにはあるが非常に高価で大きい。このため彼らは,汎用マイコンを使って,すべてソフトウエアで処理することで,極力部品コストと面積を抑える戦略を選択した。そこで,俄然重要になってきたのがソフトウエアの開発である。

 ただ,専用LSIよりも低コストにしながら,同等以上の性能を確保するという目標は,容易に達成できるものではなかった。予測を上回る困難を強いられていたのである。国分氏が,彼らを横目に見ながら「申し訳ないけど,他人事でよかった」と思うのも当然のことだった。