前回から続く)

富士写真フイルムのディジカメ開発物語は第3回目。縦か横かで紛糾した製品のデザインは,やっとのことで「縦型」に落ち着く。これを待ちかねた設計部がついに動き出す。ところが作成された設計図を見て,担当者は目を丸くする。話があまりにも違っていたのだ。

 「次の製品,こんな感じになったから。よろしく」

 1997年5月のある日。埼玉県朝霞市にある富士写真フイルムの朝霞技術開発センターで,いつも通りパソコンに向かって仕事をしていた松尾淳一氏の前に,1枚の設計図が置かれた。開発中の150万画素ディジカメの設計図である。

 「はいはい,了解」

 画面に向かって仕事を続けたまま,松尾氏は答えた。そういえば,デザインが固まったっていってたな。仕様が確定したのかな。やっと松尾氏は手を止めて,設計図に目を移す。なになに,えーっと。ここがこうで,ここはこう。全部足すと,ざっと約1万7000といったところか。

 「えーっ」

 声は,彼が所属する設計部中に響き渡った。

 「ち,ちょっと。待って下さいよ,南雲さん。こんなの絶対に無理ですよ」

言ってあったはずでしょ

 設計図に記されていたのは,プリント基板の面積である。松尾氏は設計部内で電気系統を実装するグループのリーダを任されていた。与えられた大きさや形状の基板にすべてのICを並べ,配線し,それらを正常に動作させるのが彼の任務である。