富士写真フイルムが大ヒットさせたディジカメ開発物語の第2回。CCDを子会社に委託することが決まり,いよいよ機器の設計がスタートする。それを統括する岩部氏は,まず川島氏にデザインを依頼する。しかし,待てど暮らせど提案は上がってこなかった。
「今回はとことん納得のいくものを作りたいんだ。だから,デザインの方も徹底的にやってほしい。頼んだよ」
「は,はい」
1996年の秋,製品の発売まで約1年半。150万画素ディジカメ(ディジタル・スチル・カメラ)の開発は,基幹部品の寸法がほぼ固まり,製品デザインの段階に入っていた。依頼を受けたのは商品企画担当の川島巌氏。彼にデザインを依頼しているのは,ディジカメ設計の全体を統括する岩部和記氏である。
ここで岩部氏は川島氏に一つの約束をする。
「いいか,われわれは提案されたデザイン通りに,寸分違わず製品を作ってみせる。だから,それを前提に納得のいくデザインを提案してくれ」
言う通りに作ってみせる
これまでデザインについては,設計部が主導してきた。それを今回はデザイン主導でいくと約束したわけだ。このキッカケとなったのが,同社のデザイナがある雑誌で語ったひと言だった。
「われわれは,製品に風呂敷きをかぶせているようなものですから」