これが決め手になった。
そのころSAGEは,3GPPで近澤らが作成した仕様書を受けて,第3世代携帯電話向けの暗号方式の検討に大わらわだった。SAGEには,厳しい制約条件が課された。わずか半年の間に,暗号アルゴリズムを開発しなければならない。新規の開発をあきらめ,既存のアルゴリズムに手を加える方針を採ったのは,ごく自然の成り行きだった。
とはいえ,要求項目をすべて満たす暗号アルゴリズムは,どう探しても見つからない。高性能なのに回路は小規模という相反する条件を満たすことが,極めて難しかったのである。そんな折,近澤が提出したMISTYの技術資料がSAGEの目に留まった。
竹田が「MISTYを世界標準にしろ」との命を受けて4年。松井充が開発に着手してから優に5年はたっていた。その間に営々と積み上げてきた成果に,とうとう日の目が当たった。松井がこだわったDESより高い安全性。市川哲也,反町亨,時田俊雄の共同作業が生んだ,6kゲートと極めて小さなハードウエア。どれを取ってもMISTYは,あつらえたかのように3GPPの要求項目に合致した。
それでもSAGEには,確認すべき点が1つあった。近澤らが受け取った電子メールは,それを問いただすものだった。その穴には,竹田が下した決断がぴたりとはまった。最後の条件は,「特許を無償で利用できること」だった。
日本語で何て言うんだい
いったん糸口がつかめると,話は
「ミスター・マツイ,MISTYを日本語で言うと何だい?」
SAGEの会合では,打ち合わせ後にメンバーが夕食を共にするのが習わしだった。最適化の作業が終わりに近づいたころ,新しい暗号の名前が話題に上った。
「MISTYは『霧』だよ」
「KIRIかぁ…。ふうん」
メンバーの反応はいま一つだ。
「季節によっては『霞』とも言うかな」
「オーKASUMI!」
「KASUMI,KASUMI!」
東洋的な響きに引かれたのだろうか。戸惑う松井をよそに,メンバーは一人残らず「KASUMI」を連呼する。その場で暗号の名称は,満場一致で「KASUMI」に決まった。
そして2000年3月。ついにその日がやって来た。3GPPは,第3世代携帯電話の無線通信区間に利用する唯一の国際標準暗号として,KASUMIを採用すると発表した。