米国標準暗号「
また夏が巡ってきた。松井充が米国標準暗号「
珍しく沈んだ表情の山岸篤弘を前に,松井はおもむろに切り出した。
「山岸さん,ちょっと…」
「うん。どうしたー?」
「あの,今度の学会で発表したい案件があるんです。実は,新しい暗号を考えつきまして…」
1995年7月。独自の暗号方式を検討してきた松井は,DESと比べて安全性が高いと主張できる水準までアルゴリズムを練り上げていた。基本原理を固めたのを機に学会発表を思い立ち,山岸に相談を持ち掛ける。
山岸に対した松井は,開発した暗号の特徴を穏やかな口調で説いていく。DESの安全性は,実は数学的に証明しにくいこと。証明可能安全性(provable security)の理論を駆使すれば,暗号の安全性を定量的に評価できること。その理論に基づいて開発した暗号で,DESよりも高い安全性を確保できそうなこと…。
山岸には返す言葉がなかった。呆然として松井の顔を見返す。新しい暗号アルゴリズムを開発していたなんて初耳だ。DESより強いだけでなく,実装も容易になりそうという。山岸を驚かせたのは,松井の暗号が秘めた高い能力だけではなかった。山岸が見ていたのは,一筋の光明だった。松井が開発した暗号は,山岸が率いるチームに課させられた難題を解く「アリアドネの糸」になるかもしれない。
暗号を事業にしろ
それは突然やって来た。
1カ月前の1995年6月,三菱電機は鎌倉の研究所の機構改革に踏み切った。これまで複数あった研究所を1つにまとめ,数ある部署の統廃合に手を着けた。山岸が統括してきた課は,2つに分断されてしまった。規模が拡大しつつあった暗号技術の研究チームを,本来の研究テーマである誤り訂正符号のチームから独立させようというのである。それだけではない。会社からは「暗号研究で培った技術を基に,三菱電機の情報セキュリティ事業を立ち上げよ」という指令が下された。かくして,三菱電機の研究所に「情報セキュリティシステム開発センター」が発足する。