(前回から続く)

 表現こそ大きく変わってしまったが,関係者の苦労は実り1994年1月24日,無事に広報発表へとこぎ着けた。発表を受け,多くの新聞が記事として取り上げた。そのほとんどが,発表文そのままに「暗号の評価技術を開発」と書いてある。やむを得なかったとはいえ, DESの解読に成功した事実がうまく伝わらなかったことに,松井や山岸は少なからず歯がゆさを覚えた。

 そんな2人の気持ちを,新聞の山の中から見つけた1本の記事が救った。たった1紙だけ,発表文を読み解いて「三菱電機がDESの解読に成功した」と紹介する記事があったのだ。それほど大きな扱いではなかったが,松井や山岸にとって,これまでの苦労が吹き飛ぶ思いだった。

あの男がやって来た

 学会発表の場では,DESの解読実験を堂々と発表する機会に恵まれた。広報発表を終えた直後の1994年1月末。手始めに,国内で最大規模の暗号関連のシンポジウム「SCIS’94」で報告した。同年8月には,国際的に著名な米国の暗号学会「CRYPTO’94」で,松井は檜舞台に立つ。

 CRYPTOは,投稿された論文を厳しく審査することで知られている。世界中の暗号学者から寄せられた論文のうち,発表が許可されるのはわずか数十本。 DESの解読実験について述べた松井の論文は,その関門を難なく潜り抜けた。そればかりか,学会の中で参加者が最も注目する,全論文のトップバッターとして発表することになった。

 学会発表を震源に,松井の成果は暗号に携わる研究機関や企業の間に波紋を広げていく。DESの解読を聞き付けた暗号研究者たちは,一様に騒然となった。衝撃が業界にあまねく行きわたると,今度は松井の元に反響が押し返してきた。連日,論文を求める電子メールが世界中から舞い込んでくる。暗号研究者からの手紙も山ほど届いた。その中には,DESの解読に挑戦したがうまくいかず,松井の成果を称賛するものもあった。

 一躍,斯界しかいの有名人になった松井は,思ってもみなかった世界と隣り合わせの自分を見いだした。欧州で開催されたある学会に参加した時のことだ。慣れない学会の雰囲気に気押されながら,共に参加した日本の暗号界の重鎮と連れ立って,ホテルでのレストランで食事をしていた。その背後に1人の男が立った。

「ユーがミスター・マツイか」

「イエス?」

「論文を読んだよ。なかなかグッドなアイデアじゃないか」

 その男は名乗らないまま,ニヤリと一笑すると,静かに歩き去っていった。松井は同席していた研究者に耳打ちされる。あの男こそ,米国家安全保障局(NSA)で情報セキュリティの要職にあるBrian Snow氏だと。