松井は,解読プログラムが作成したログ・ファイルをディスプレイに表示する。そこにある数字が,自分が最初に用意した鍵データと一致しているかどうかを,恐る恐るのぞき込む――。

「…!」

 松井は声を押し殺した。その目には,最初に仮定した鍵データと寸分違わぬ数字が飛び込んでいた。

解読実験のすべてがこのノートに
三菱電機の松井充氏がDESの解読実験に取り組んだ際の実験ノート。12台のワークステーションにそれぞれ実行させた解読プログラムの進捗状況が,事細かに記録してある。表紙には「Project―D」と記してある。(写真:福田一郎)

15年来の快挙

「あのー,山岸さん。ちょっと相談があるのですが」

「どうしたー」

「例の実験の件なんですが。実はですね,どうやら成功したようなんです」

「え? 何だって?」

「DESの解読,うまくいったんですよ」

 冬の訪れを感じるころ,松井は直属の上司である山岸篤弘に,解読実験の成果を報告した。実験を終えた松井は,実験内容とデータを2度,3度と確認する。どこにもミスはなかった。間違いなく解読に成功したとの確信を胸に,松井は山岸に相対した。

 報告を受けた山岸は仰天する。DESの解読成功が事実であれば,これは大ニュースである。何しろ15年もの間,百戦錬磨の暗号解読の研究者でさえ,一度も成し遂げることができなかった成果だ。山岸も,線形解読法がDESの解読に有利であることは知っていた。しかし,本当に解読したとなれば話は別である。米国の連邦政府が利用している現役の標準暗号を暴いたのだ。学会ばかりか,広く世の中に激震をもたらすだろう。そのDESの解読を,目の前にいる部下の松井がやってのけたというのだから,山岸の驚きはなおさらである。

 山岸は早速動いた。研究成果として,学会で発表するのは当然だ。それだけでなく,広報部門を通じて,広く世の中に伝えるに値する。部長や研究所の所長も,迷わず広報発表にゴーサインを出した。三菱電機の暗号研究において,初めての広報発表になる。松井らは発表文のたたき台となる原稿を作り上げ,胸を張って本社の広報部門に送り届けた。「DESの解読実験に成功」と声高にうたって――。