間口の広さを意識

 クリプトン社 代表取締役の伊藤博之は,初音ミクの開発が佳境に入った2007年初夏の段階で,初音ミクとニコニコ動画の相性の良さに気付いていた。初音ミクの前作である歌声合成ソフト「MEIKO」やそのパッケージ・キャラクターを使った作品がニコニコ動画に投稿され,それなりの人気を博していたからだ。

 「初音ミクでも,キャラクターの映像を歌声に組み合わせて投稿したいユーザーがいるだろう」と伊藤は考えた。そこでユーザーが動画やオリジナル・イラストを作るときにその参考データとして使えるように,初音ミクの画像データを公開することにした。音楽以外に関してもユーザーの創造性を発揮できるように配慮したわけだ。

 一方でソフトウエアの作りや価格設定では間口の広さを意識した。例えば,価格は市場で約1万5000円と,DTMソフトとしては安く設定した。「少し気になったら購入できる価格。これが2万円だと気軽に買えなくなると思った」(佐々木)。

 購入したら簡単に歌声を合成できるようにもした。曲の長さによるものの,単に歌わせるだけなら15分程度で1曲作れるように操作性を工夫した。一方で,さまざまなパラメータを細かく調整して,コアなDTMユーザーやプロのミュージシャンが満足するクオリティーでリアルに歌わせられるようにした。

 こうした配慮がニコニコ動画に集うユーザーを引き付けた。彼らの多くは今までDTMに興味がなかったユーザーや,いわゆるアキバ系のユーザーである。間口が広く奥が深い製品にできたからこそ,1000本売れれば成功というDTMソフトの常識を大きく上回る3万本の売り上げ(2008年1月末現在)を達成できた。

本来の用途を超えて

 初音ミクの人気が高まるに従って,ニコニコ動画に投稿される作品の幅は伊藤らの想像を大きく超えて広がっていった。初音ミクは単にパソコン用DTMソフトのヒットという枠内に収まらず,ニコニコ動画を舞台に,いわゆるCGM(consumer generated media)を活性化する役割を担い始めていた。

 初音ミク本来の用途である音楽はもちろん,キャラクターを使ったイラストや3次元グラフィックス,動画や粘土を使ったフィギュア,初音ミクを模した簡単な電子工作品なども投稿されるようになっていた。初音ミクを「ネタ」にあらゆるジャンルの創作が行われ,作品として投稿される状況に発展した。

―― 次回へ続く ――