それにもかかわらず,進歩に唯一取り残された「音」があった。「人間の歌声」である。

 人間の歌声を収めたサンプリングCDはあった。しかし収めていた音は叫び声やコーラスなど。楽器の代わりの音源として使ってメロディーを奏でられても,歌詞を載せて人間が歌っているかのような声は再現できなかった。

 クリプトン社も,創業当時から人間の声を収めたサンプリングCDを販売していた。「その程度の内容でもよく売れた。ほかの楽器音のCDより売れ行きが良かったくらい」と伊藤は当時を振り返る。だからこそ彼は「本物の歌声をコンピュータ上で再現できれば,もっと売れる」と常々考えていた。そして,こうした技術の登場をずっと待ち望んでいたのである。

着メロが結び付ける

 そんな伊藤とヤマハを結び付けたのは,携帯電話機で音楽や効果音などを再生する「着メロ」である。顧客が限られるサンプリングCDのニッチな市場に飽き足らなくなっていた伊藤は,2001年ごろから着メロの配信事業を始めていた。「より広い市場に事業を展開するため」(伊藤)だ。

 ここでも伊藤の読みは正しく,着メロの事業は当たった。2002年にはヤマハと共同で,着メロ販売サイトを開設するほど順調だった。この関係でヤマハの着メロの事業部門などと近しく付き合うようになっていた。

VOCALOIDの開発に携わったヤマハ イノベーティブテクノロジー開発部 サウンドテクノロジー開発センター グループマネージャーの剣持秀紀氏(写真:柳生貴也)

 2002年のある日,伊藤は付き合いのあるヤマハの社員から同社がリアルな歌声合成の技術を開発中だと耳にする。強い興味を示した伊藤の要望に応える形で,札幌にあるクリプトン社へVOCALOIDのプロトタイプを持参して技術デモに出向いたのが,開発の中心人物であるヤマハ イノベーティブテクノロジー開発部の剣持秀紀だった。

 このとき剣持は「単なる合成音と片付けられるかと心配だった」という。開発着手から2年,技術の骨格はできていたが,しょせんはプロトタイプ。完成度は低かった。伊藤も「まだ製品化できるレベルではなかった」と認める。それでも技術の素性の良さは明らかだった。デモ後に剣持に告げた「完成を心待ちにしていますよ」という言葉は伊藤の本心だった。MEIKO,そして初音ミクへの道は,この瞬間にひらかれた。 =敬称略

―― 次回へ続く ――