パソコンを使いこなすお年寄り

 ファクスで始まった葉っぱビジネスのJIT(ジャスト・イン・タイム)方式は,その後進化を遂げていく。何と専用端末が開発されたのだ(図3)。最初はお年寄りたちにパソコンなど使えるわけないと,町議会で導入が却下されたが,1998年に当時の通商産業省の実証実験事業に応募し見事当選したことを機に,1億600万円の予算を使って,まず葉っぱビジネスの生産者40戸にパソコンを導入したのである。

図3 葉っぱビジネスの生産者専用パソコンの操作デバイス
高齢者でも操作できるように,トラックボール(マウス)の大きさが半端じゃなく大きい。

 葉っぱビジネスに情熱を傾けるお年寄りたちにとっては,ハイテクもローテクも関係ない。自らのビジネスに役立つものなら,何だって抵抗なく使う。初めは少し心配していたいろどりの若手担当者も,そののみ込みの早さに驚愕。パソコンを使いこなすまでに,時間は大してかからなかったという(図4)。

 そして,葉っぱビジネスの生産者全戸にパソコンが行き渡った瞬間,このビジネスはシステム事業になった。情報の共有化により生産者全員が発注情報に公平にアクセスできるようになると,いい意味で競争心が生まれ,生産者の多くが自分自身で目標を設定するようになった。平均70歳代の生産者のハートに火が付いたのだ。おじいちゃん,おばあちゃんの心は今,青少年のように若く,そして熱い。

ニュービジネスの仕掛け人

図4 いろどりの担当者から説明を受ける葉っぱビジネスの生産者
孫と祖父母のような年齢差だ。

 いろどりが出荷するつまもの向けの葉っぱの売り上げは今では年間3億円近くに達し,全国シェアの7割を占めるようになった。この裏には,実は,仕掛け人がいる。すごい人なのだが,仕掛け人と呼ぶには優しすぎる風貌にいささか齟齬がある横石知二さん,その人である(図5)。

 今からさかのぼること26年前の1981年2月。横石さんが住む上勝町を,零下13℃の猛烈な寒波が襲った。既述した通り,上勝町の当時の主力産業は林業とミカン栽培だったが,林業が安い外材に押される中,ミカン栽培の重みが増し始めていたころだった。そこに,突然の寒波襲来である。ミカンの木は全滅し町の経済は低迷,上勝の町全体に暗い雰囲気と絶望感が広がった。

図5 葉っぱビジネスの仕掛け人,横石知二さん
どれほどの苦労があったのだろうか。優しい顔からは想像もつかない。(提供:立木写真舘)

 このどん底の時期に,町の農協で営農指導員として働いていた横石さんは,座して死を待つわけにはいかないと,全国行脚に出掛ける。それから5年。横石さんは,たまたま立ち寄った大阪の居酒屋で,ある光景を目にする。

 それは,食事をしていた女性が帰るときのことだった。料理に添えられていたつまもののモミジを手に取り,丁寧にハンカチに包んでバッグに入れたのだ。「これだ」と,手を打つ横石さん。モミジだろうとカエデだろうと,林業の町,上勝には余るほどたくさんある。

 横石さんは5年ぶりに上勝に戻ると,町の人たちに葉っぱを売るアイデアを披露した。ところが,最初のうちは聞く耳を持ってもらえない。それどころか,「タヌキじゃあるまいし,葉っぱが金に化けるんだったら,そこら中に御殿が建っとるわ」と嘲笑されることも。今となっては笑い話で済むが,当時の横石さんの胸中は察して余りある。いや,筆者の想像も及ばないほど,きっとショックを受けたに違いない。

上勝町が示す日本の将来